【映画】めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥

 松山容子主演の時代劇『めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥』を観る。
 7才にして母親に捨てられ、雷に打たれて失明したお市松山容子)。弥助という老人に拾われて幸せな日々を送っていたが、ある時、その弥助が何者かに殺されてしまう。その犯人はさらにお市を襲ったのだが、それを救ったのが浪人の浮田長門勇)だった。お市に剣術の素質を見いだした浮田は、彼女に居合い術を教え込み、赤い仕込み杖をさずけるのだが、お市が自分に想いを寄せていることに気づき、そっと姿を消す。
 その後、お市は、母親と弥助のかたきを探す旅を続けていた。あるとき、お市はやくざに追われていた老人仁平を救う。仁平は、むかし捨てた娘に会いたい一心で島抜けをした凶状持ちであった。自分の身の上に仁平の話を重ねたお市は仁平を手助けしようとするのだが……、その前に現れたのは彼女を捨てた母親と、弥助を殺したかたきの男であった。
 面白いという話は以前から聞いていたのだけれど、なるほど、これは普通に面白い。「普通に面白い」というのも、いささか失礼な表現とはなるが、きっちり娯楽映画のツボを押さえた作品で、突出しているわけではないが、充分に楽しめていささかたりとも飽きさせない。まさに娯楽映画のお手本のような作品といっていいだろう。
 びっくりしたのが松山容子の盲目の演技。まったくまばたきしない目が、どこにも焦点があっていないのだ。何も見ていないのだ。アクションの真っ最中であっても、相手を見ていないのである。よくそんなことができるもんだな。
 いまで言うところの差別用語がてんこ盛りで、いまではこうした映画はなかなか作れないのだろう。だけど、「めくら」という言葉を使っていることにさほど違和感はなく、本人が「めくら」と言っても差別的な意味があるはずもなく、悪党が「なんだ、めくらか」という時に差別的な意味があるのは当たり前で、言葉を封じることの不自由さというものをいささか考えさせられてしまった。
 1969年の作品で、シリーズ作品として4作まで作られているとのこと。