【映画】私たちの予感

 シャー・ルク・カーン主演のインド映画『私たちの予感』を観る。
 ヨーロッパで旅行ガイドをしているハリー(シャー・ルク・カーン)。ようやくヨーロッパ一周の団体客を空港に送り届けてホッとしていると、そこに送り届けた客のひとり、セージャル(アヌーシュカ・シャルマー)が戻ってきて「婚約者からもらった指輪をなくしたの。あれが見つからないと、国に帰れない。あなたガイドでしょ。指輪探しに協力して!」と言い出す。
 なんとしてでも断ろうとするハリーだったが、ことわりきれない状況に追い詰められ、仕方なく指輪探しに協力することになってしまう。いつどこでなくしたかはっきりしないために、それまでのツアー行程を辿ってヨーロッパをあっちこっち飛び回ることになってしまうふたりだったが、いつしかふたりの間には……。
 残念ながら、自分としてはどうしても好きになれない映画だった。なぜかというと、アヌーシュカ・シャルマーが演じるセージャルという女性が、自分勝手で、わがままで、愚かという、どうしようもないキャラクターだったからだ。ハリーがいくらとめても、夜の街で好き勝手やって危険な目にあってハリーに迷惑をかけるという展開に、思わず溜息をついてしまった。しかも、自分のミスでハリーをヨーロッパ中引きずり回しているというのだから、少しぐらいは申し訳ないとか思ってもいいだろうに、ぜんぜんそんな様子がない。
 また、ハリーが手を出せないのをいいことに、恋人ごっこを強制したり、一緒のベッドですりよってきて寝てみたり、小悪魔なんてものじゃない。なに考えてるんだ、この女は!
 というわけで、まったく共感ができず、そんな女に引きずり回されるハリーに同情するばかり。だというのに、どういうわけかハリーは恋に落ちてしまうという説得力のないストーリー。
 ギャングに捕まって絶体絶命という場面がクライマックスかと思いきや、そのあとの脱力の展開にもガッカリ。コメディだったら、こういう展開でも許されるってこと? 脚本の詰めが甘すぎるんじゃないの。
 シャー・ルク・カーン主演で、ほぼ全面ヨーロッパロケという大作映画ゆえに期待したんだけど、ちょっとどころじゃない期待ハズレ作だったかな。

【読書】岡田薰『半径50メートルの世界』論創社

 岡田薰『半径50メートルの世界』論創社を読了。
 サブタイトルに「フィリピン バランガイ・ストーリー」とある。バランガイというのはフィリピンの自治体組織の最小単位をいう。日本でいえば町とか村に近いかもしれないが、より積極的に地域における紛争の調停・仲介などをおこなう。その長は選挙で選ばれるのだが、それなりに権力も持つために選挙には汚職やら暴力事件やらがつきまとう。
 そうした狭い地域で著者が見聞、体験したエピソードを通してフィリピンの素顔を紹介しているのが本書だ。正直、ここで紹介されているエピソードに登場してくるのは、よほど体力がないとつきあいきれないようなキャラクターばかりだ。自分もかつてキアポという下町に潜り込んでいた時期があるのだけれど、短期間だったから表面的なつきあいだけで済んだ。だけど、著者のようにどっぷりと浸かって暮らすとなると、自分だったら疲弊しきってしまうだろう。なにしろ、とにかく酒を飲む。道ばたでたむろして酒を飲む仲間に加わり、バーに繰りだし、何軒も梯子をして、さらにはそこで知り合った人間の家にまで乗り込んで行って酒を飲む。そうやって広げていったつきあいが多く紹介されている。若くて体力がなければ絶対に無理。
 本書に出てくる女性たちの多くは、若くして母親になるのだが、父親の違う子どもが何人もいるのが当たり前だったりする。そのために人間関係が複雑で、読んでいても誰と誰がどういう関係なのかがよくわからなくなってしまう。そして、多くの父親は養育費など払わず、ギャンブルに手を出し、昼日中から飲んだくれていたりするわけだ。
 もちろん、これはフィリピンという国の一側面にすぎない。それこそ、著者が実際に見聞きした「半径50メートルの世界」の話なのだから。でも、こういう「半径50メートルの世界」の情報を積み上げていくことで、初めて見えてくるものが確実にある。
 本書は、ドゥテルテ大統領の時代が舞台となっている。その後、ボンボン・マルコス大統領に変わって、フィリピン社会がどう変わったのか、あるいは変わっていないのか、続編も読んでみたくなる。

 かつて、ブリランテ・メンドーサ監督の『サービス』という映画を観た時に、ココ・マルティンがお尻にできたおできに悩まされていて、そこにコカコーラの瓶をあてて膿を吸い出させるという場面があった。本書を読んで、それが「ピグサ」と呼ばれる細菌感染症の民間療法であると知ることができた。
 また、フィリピン映画には臓器移植のための誘拐をテーマにしたものがあったり、お金のない映画監督がジョークで「腎臓売ります」と言ったりすることがあったのだけれど、それがアロヨ政権時代に腎臓手術が格安でできると海外の患者を積極的に呼び込んでいたためということも判明した。
 なにげなく見聞きしていたことが、こうして思いもかけず「なるほど」と思えたりするのも、読書の楽しみのひとつだよなあと納得してしまった。

【映画】ドラッグ・ウォー 毒戦

 ジョニー・トー監督の『ドラッグ・ウォー 毒戦』を観る。
 中国公安警察の麻薬捜査官・ジャン警部は、爆発があったコカイン製造工場から逃亡する途中に事故を起こして病院に担ぎ込まれていた香港出身のテンミンをとらえ、死刑と引き替えに捜査に協力することを約束させる。テンミンの協力を得たジャンは、黒社会の大物を相手の大規模な麻薬取り引きを仕掛けていくのだが……。
 2013年の作品で、ジョニー・トーの50本目の監督作品となる。そして、香港を拠点に創作活動を続けてきたジョニー・トーだが、本格的に中国との合作に取り組んだ作品でもある。中国が舞台で、香港マフィアをルイス・クー、ラム・シュ、ラム・カートンなどの香港の俳優が演じ、それを追う中国公安警察の人間をスン・ホンレイ、クリスタル・ホアンなどの中国の俳優が演じている。
 作品は相変わらずのジョニー・トーで、華やかさのない抑制されたリアルな演出で、緊張した場面が続く。しかも、容赦のない展開で、なんともやりきれない気分になる。ケチのつけようのない展開なのだけれど、どこかにもう少し救いを入れてくれてもいいじゃないか、などと思ってしまう。
 ジョニー・トーは、『ヒーロー・ネバー・ダイ』『ザ・ミッション 非情の掟』あたりからみるみる評価の高い監督となったのだけれど、実は自分はそれ以前の作品も大好きなのだ。ここぞという場面であざといまでにエモーショナルな映像をぶちこんでくるジョニー・トー作品が大好きだったのだ。いまとなっては、そういう作品を撮ることはないのだろうけれど、たまにはもっとエンターテインメントしてくれてもいいのではないかと思ってしまう。

【読書】楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』中央公論新社

 楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』中央公論新社を読了。
 昭和13年。講演のために台湾に招かれた作家の青山千鶴子は、通訳につけられた王千鶴とともに、台湾の各地を旅行し、その土地その土地ならではのさまざまな料理を食べて食べて食べまくる。青山千鶴子は食べることが好きで好きでどうしようもない大食漢だったのだ。その青山千鶴子の欲望を満たすべく、同行の王千鶴は通訳としての職分を大きく超えて、さまざまな手配をこなしていく。やがてふたりは作家と通訳という関係を超えて友情を育んでいくかに思われたのだが……。
 読み終えたとき、長い長い旅を終えたような、なんともいえない感慨を覚えてしまった。
 実に実にさまざまな要素を含んだ小説だった。舞台は日本統治下の台湾である。主人公は日本人小説家の青山千鶴子と、台湾人通訳の王千鶴。それだけで、なんとも微妙なニュアンスが生まれてくる。ひたすら食べることに執着する青山千鶴子は、いわゆる高級料理店で出るような料理ではなく、ごく普通の台湾人が食べているような料理を食べたがり、そこにグルメ小説的な要素も生まれてくる。しかも、その大食らいぶりが半端なく、また裏表のない性格から発せられる発言などから、ユーモア小説的なおかしさも生まれてくる。もちろん、台湾各地を鉄道で旅してまわることから、紀行文、旅行記としての楽しさも味わうことができる。しかも、舞台は昭和13年なので、そこで描かれるのはすでに現在の台湾では見ることの出来ない、過去の台湾の姿なのだ。そして、お互いを理解しようとするふたりの友情を超えた想いを描く百合小説としての要素すら持ち合わせているのだ。
 さらにはこの小説、冒頭には昭和29年に日本で刊行された際の「初版まえがき」が再録され、巻末には青山千鶴子の養女による「母の思い出」、台湾版刊行のために書かれた王千鶴による「訳者あとがき」、台湾版刊行までのいきさつを説明する王千鶴の娘・呉正美による「旧友との約束」という文章が収録されている。つまり、日本人の作家・青山千鶴子が書いて日本で出版され、それを王千鶴が中国語に翻訳して、王千鶴の娘が台湾での出版にこぎつけたという設定がほどこされているのである。なんという凝りよう。
 それにしても驚くべきは、著者・楊双子の力量である。なにしろ、本当に日本人が書いたとしか思えない作品なのだ。しかも、日本統治下の昭和13年が舞台なので、その風俗を再現するにあたっての苦労は並大抵ではなかろうと思うのだが。
 そして、とてもとても楽しい小説なのだけれど、最終的には、統治する国の人間と、統治される国の人間の友情という、とても重いテーマが表面に浮き上がってくる。単に楽しいだけの小説ではないのだ。すごいな、楊双子。
 なお、文章はむちゃくちゃ読みやすい。とても翻訳小説とは思えない読みやすさだ。ところによっては、非常にくだけた表現も用いられたりしていて、どこまで文章を軟らかくするか、翻訳の三浦裕子氏も苦労されたのではないだろうか。きっと、翻訳の文体によっては、ここまで楽しい小説にはならなかっただろう。

【映画】美に魅せられて

 インド映画『美に魅せられて』を観る。
 ガス爆発の事故で夫リシュが亡くなる。だが、焼け残った頭骨には殴打の痕があり、殺人事件としての取り調べが開始される。警察は妻ラーニーこそが犯人であると決めつけて過酷な取り調べをおこなうのだが、その過程で徐々に夫婦の過去が明らかになっていく。
 夫婦は見合い結婚だった。田舎町ジュワーラープルに住むエンジニアのリシュはラーニーに一目惚れであったが、デリーで美容師をしていた都会的で先進的な性格のラーニーはなにごとにも消極的でおとなしい性格のリシュを受け入れることができないでいた。しかも、ある失敗を契機にリシュはラーニーに背を向けるようになり、夫婦仲は冷え切ってしまう。罪の意識を感じたラーニーはリシュに近づこうとするのだけれど、今度はリシュがラーニーを受け入れようとはしなかった。
 そんなところに現れたのが、リシュとは正反対の性格をした従兄弟のニールだった。男としての魅力を発散するニールにラーニーは惹かれていき、ついには過ちを犯してしまう。だが、ニールにとってそれは遊びに過ぎず、ラーニーから駆け落ちをもちかけられると、さっさと逃げ出してしまう。
 心からラーニーのことを愛していたリシュは、妻が浮気をしていたという事実に衝撃を受け、妻を憎むようになる。一方のラーニーは、初めて夫の愛がいかに大切なものであったのかに気がつき、ひたすら許しを乞う。だが、どうしても妻を許すことのできないリシュは、ラーニーを殺したいとまで思い詰めるようになるのだった……。
 というわけで、はたして事件の真相は……となるのだが、正直、この設定で普通に予想される真相ではある。が、警察がずっとこだわっていた凶器の正体にはびっくりさせられたし、それよりもこっちの予想を大きく上回る“ある真相”には驚愕させられた。さすがにこの展開は予想しなかった。まさにドギモを抜かれた。でも、どう考えても無理だからね、あれ。
 そして、そういうミステリーとしての謎解きはともかくとして、夫が一方的に惚れこんでいた関係が、次第に拒絶、憎悪へと変貌していき、逆に妻の拒絶が懇願、愛情へと変貌していくという人間ドラマが重厚でたっぷりと見せてくれる。
 夫リシュを演じているのはヴィクラーント・マッシー。おとなしくて臆病だった人物が、やがて偏執的で冷酷な人物に変貌していく過程をリアルに演じている。表情がぜんぜん別人になっていく。
 妻ラーニーを演じているのはタープシー・パンヌー。ちょっと崩れた色気のある女優で、この女性だったら家庭が崩壊しても不思議はないという妙な説得力がある。一方で、芯の強さを感じさせる目力もあり、彼女なら警察の過酷な取り調べも乗り切れて当然という印象も持ってしまう。『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』にも主要なキャラクターで出演している。
 ちなみに邦題の『美に魅せられて』というのは、まるっきり内容とリンクしていないので、なんだかなあという感じ。もう少し内容に寄り添った邦題をつけてほしいものだ。

【映画】KANO 1931海の向こうの甲子園

 台湾映画KANO 1931海の向こうの甲子園を観る。
 1931年、日本統治下の台湾。嘉義にあった「嘉義農林学校」の野球部は、それまで一度も勝ったことがなかった。だが、かつて甲子園出場の経験を持つ近藤(永瀬正敏)が乞われて野球部の監督となり、すべてをなげうって生徒たちの練習にのめりこむ彼の影響で選手たちの意識も変わっていく。そして、厳しい練習を乗り越えて台湾の大会で優勝し、甲子園に出場することになるのだった……。
 実際に甲子園進出をはたし、決勝まで勝ち進んだという実話の映画化である。台湾映画であるのだけれど、ほとんどのセリフは日本語でかわされ、永瀬正敏大沢たかお、坂井真紀といった日本人の俳優も多く出演している。
 実話の映画化なので、結果がどうなるのかはあらかじめ分かっている。しかし、分かっていても、決勝戦では興奮させられ、感動させられ、泣かされてしまう。最後に、登場人物のその後の人生がクレジットで出てくるのだけれど、そこでも心を揺さぶられてしまう。選手の中には「出征し、南方で戦死」とある者も複数いて、暗澹たる気分にもさせられてしまう。映画の中では日本に対する批判的な描写はほとんどないのでうっかり忘れそうになってしまうのだけれど、台湾が日本によって統治されていたというきわめて特殊な時代の物語なのだ。
 感動的な映画ではあったのだけれど、野球部とは直接にかかわりのないエピソードがところどころに入り込んでいることにはいささかの違和感も覚えた。特に大沢たかおが演じた八田與一による大規模な水利工事のエピソードは必要なのだろうか? このエピソードが野球部の躍進にからむことはないので、単に実話だから脚本から切り捨て損ねたというだけのことに思えてしまったのだけれど。
 また、甲子園大会よりずっとあとの1944年、大日本帝国陸軍の軍人たちが台湾南部に向かう列車の中で、ひとりの将校が「嘉義に着いたら起こしてくれ」と言う場面で映画が始まるので、この将校が甲子園の決勝戦で大きな役割をはたす人物なのだなと思っていたら、ぜんぜん違うじゃん! 最後の方で、この人物が嘉義農林学校のグラウンドを訪れるエピソードが挿入されたりもするのだけれど、ぜんぜん重要な人物でもないのに、なぜこの人物をとりあげてこういう描き方をしたのか、そこにもいささか違和感を覚えてしまった。
 あと、予想以上に日本人を好意的に描いてくれているなという印象も持った。「蕃人(台湾原住民)、漢人(漢族系住民)がいるようなチームが勝てるわけがない」というようなセリフが出てきたりはするものの、それほどひどい差別的な描写は出てこない。実際には、そんなものではなかっただろうと思うのだけれど。
 時代背景を考えると、いろいろなことを考えさせられてしまう。
 製作・脚本は『海角七号/君想う、国境の南』『セデック・バレ』の監督、ウェイ・ダーション魏徳聖)。監督は『セデック・パレ』に出演した俳優のマー・ジーシアン馬志翔)。
 こうなると、『セデック・パレ』も観なければと思うのだけれど、『セデック・パレ』を観るには体力を必要としそうなので(劇場公開時に観なかったのも、それが理由だった)、まずは手元に録画のある『海角七号』を観ることにしよう。

【映画】ムンナー・マイケル

 インド映画ムンナー・マイケル』を観る。
 子どもの頃からダンスに夢中で、クラブでのダンスバトルで稼いでいたムンナーは、ギャングのボス、マヘンドラから自分のダンスの教師になってくれと懇願される。マヘンドラは、ダンサーのドリーに心から惚れ込んでいて、彼女の前でダンスを披露して求愛しようと計画していたのだ。レッスンを重ねるうちにマヘンドラとの友情を深めていくムンナーだったが、マヘンドラの恋のキューピッド役を務めるうちに、自分もドリーに心を奪われていく。だが、マヘンドラへの友情のために自分の恋心を押さえ込んで、ドリーをマヘンドラのもとに連れて行く。マヘンドラは、ドリーに豪華な部屋、豪華な車をプレゼントして彼女の気を引こうとするのだが、ダンスコンテスト番組「ダンス・インディア・ダンス(DID)」で優勝してダンサーとして世に出るという夢を持ったドリーはマヘンドラのもとを逃げ出すのだった。
 マヘンドラからドリーを連れ戻すように依頼されたムンナーは、友情と恋愛の板挟みになりながらも、ドリーの夢を叶えるために動き出す。だが……。
 主人公のムンナーを演じているのは、『タイガー・バレット』『WAR ウォー!!』といったアクション映画で華麗なアクションを披露しているタイガー・シュロフ。さすがにダンスもキレッキレで、その身のこなしの素晴らしさは半端ない。また、格闘シーンもたっぷりと用意されているのだけれど、もちろんそこでのアクションも素晴らしいのひとこと。跳び蹴りの美しさでいったら、ドニー・イェンと双璧をなすといっていいだろう。
 ドリーを演じているニディ・アグルワールは、本作がデビュー作であるらしい。美人だし、ダンスもうまいし、これではギャングのボスが高校生のようにのぼせあがってしまうのも無理はない。
 マヘンドラを演じているのはナワーズッディーン・シッディーキーという俳優とのこと。本来は、冷酷なギャングの役とかを演じている役者さんなのでしょうけれど、本作では冷酷になりきれない、ちょっと憎めないキャラクターを演じている。エンドクレジットについているNGシーンには、慣れないダンスを頑張っているシーンなども入っていて、思わず好感度がアップしてしまった。
 先日観た『マイネーム・イズ・ハーン』は、歌と踊りのシーンを封印していたけれど、本作は歌と踊りのシーンがこれでもかこれでもかと詰め込まれている。なにせ、題材がダンスなのだから、これっぽちも遠慮することなくダンスシーンを盛り込めることができるのだ。これが実に楽しい。優れた脚本でじっくり感動させるのもインド映画なら、こうして豪華絢爛なダンスシーンで魅了してくれるのもインド映画なのだ。
 それにしても、1回のダンスシーンの撮影のためにヨルダンのペトラ遺跡でのロケとか、ローマのコロッセウムでのロケとかをやってしまうのだから、インド映画のダンスシーンにかける予算のかけかたは半端ないよね。