【映画】Pornstar 2: Pangalawang putok

 フィリピン映画『Pornstar 2: Pangalawang putok』を観る。

 フィリピンにおけるセクシー映画の復権を実現するために立ち上がった4人のかつてのセクシー女優たち、アラ(アラ・ミナ/Ara Mina)、ロサンナ(ロサンナ・ロセス/Rosanna Roces)、アルマ(アルマ・モレノAlma Moreno)、マウイ(マウイ・タイラー/Maui Taylor)。彼女たちがセクシー女優にするために徹底的に教育をほどこしたトゥインクルだったが、彼女が妊娠したために彼女たちの野望は一度は潰えてしまうのだった……、というのが前作の『Paglaki ko, gusto kong maging pornstar』。
 ところが、彼女たちは再び立ち上がり、セクシー女優の卵たちを集めてオーディションをおこない、それを勝ち抜いた4人をセクシー女優に仕上げるための教育を開始するのだった。
 というわけで、実際にかつてのセクシー女優4人を集めて作ったコメディの続篇なのだけれど、これがなんとも退屈な作品だった。いままでダリル・ヤップ監督の作品はあれこれと観てきたけれど、まさかこれほど退屈な作品を撮るとは思わなかった。何度も何度も早送りしたいという衝動にかられた。
 途中、本当に脚本があるのか、あるいは俳優たちにフリートークをさせているのか、区別がつかないようなシーンがけっこうあったのだけれど、あれははたして脚本があったのだろうか? その最たるものは、かつてのセクシー女優4人が、延々とかつて出演した映画の思い出話を語るというシーンで、実際に存在する映画についての話とか、実際に存在する男優とのエピソードとかを4人で披露しあうのだ。もしかしたら、フィリピンの古い映画ファンならその場面を楽しんだかも知れないけれど、映画の中でそれをやるか? バラエティ番組でやるような内容だぞ。しかも、そのシーンがやたらと長い。
 そして、彼女たちが新しいセクシー女優として育てようというのが、セファ(Stephanie Raz)、トリナ(Ayanna Misola)、メルチ(Cara Gonzales)、ガビー(Ava Mendez)なのだけれど、演じているのは全員、本作がデビュー作なのだ。つまり、ここでも映画と現実をリンクさせるというようなことをおこなっているのだ。実際、彼女たちは本作以降、何本ものセクシー映画に出演するようになっているのだけれど。
 この4人をセクシー女優に育て上げる過程が、本来なら映画を面白くするシーンであるべきなのだけれど、実はここがいちばん退屈だった。セリフがやたらと多くて、字幕を読むのに苦労させられたってこともあるかもしれないけれど、本当に会話ばかりなのだ。
 なんとか4人はセクシー女優として世に出て人気が沸騰するのだけれど、そこでそれぞれの隠された過去、政治家の愛人だったとか、殺人犯だったとか、が明るみに出て、育てた4人が記者会見を開く。そこで4人はセクシー女優だった自分の過去を語るのだけれど、ここがまた本当の話なのか映画における創作なのかが分からない。決して人様に誇れるようなことばかりではなかったけれど、泥に汚れたとしても、そんなものは拭えばいいだけのこと。後悔はしていないし、いまは幸せだと胸をはることで、なんとはなしにハッピーエンドに持ち込み、最後は新旧8人の女優が泥んこの中で泥まみれになってはしゃぎまわるシーンでエンディングとなる。
 監督はフィリピン新世代を代表する才人のダリル・ヤップ。2021年に本作のパート1にあたる『Paglaki ko, gusto kong maging pornstar』を発表したかと思うと、矢継ぎ早に作品を公開して、なんと1年間に10本の新作を公開したという、信じがたい経歴の持ち主である。
 そして、2022年にはマルコス大統領を退陣に追い込んだ「ピープルパワー革命」をマルコスの側から描いた問題作『Maid in Malacañang』を発表する。当時のマルコス独裁政治を正当化する作品に対して批判が殺到し、IMDbでの評価も「10点」と「1点」に分かれてしまっている。マルコス独裁政治の時代を体験しているジョエル・ラマンガン監督などは本作を歴史修正主義者の撮った映画と全面否定して、これに対抗する真実の姿を描いた作品を撮るとまで息巻いていた。
 ちなみに、2022年にはフィリピンで大統領選挙があり、新大統領としてフェルディナンド・マルコスの長男、ボンボン・マルコスが就任しており、ダリル・ヤップはこの政権の支持を表明している。
 2023年には『Maid in Malacañang』に引き続いて、ニノイ・アキノ暗殺を扱った『Martyr or Murderer』を発表するが、これまたマルコスを擁護する内容の映画で、またしても評価は「10点」と「1点」に二分されている。
 2023年にはさらに地域でおこなわれているダンスコンテストを題材にした『Para kang papa mo』を公開している。

【映画】俺たちの旅路 さらば愛しき日々よ(龍鳳茶楼)

 1990年制作の懐かしき香港映画俺たちの旅路 さらば愛しき日々よ(龍鳳茶楼)』を観る。
 主演はマックス・モク&チャウ・シンチー。いまでは香港を代表する映画監督となったチャウ・シンチーが、まだコメディ俳優としてブレイクする前の作品で、ここで演じているのは単なるケンカっぱやいチンピラだ。エレン・チャンとマックス・モクの恋愛模様をメインに据え、対立する組織との抗争が繰り返し2人の仲に陰を落とすという、当時の香港映画に山のようにあったタイプの作品だ。当時はこういう映画をひたすら観ていたような気がする。
 なんとも懐かしい作品なのだけれど、よくよく考えてみたら、自分はこの作品を日本語字幕付きで観たのは今回が初めてだった。前に観たのはおそらく、新大久保にあった在日中国人を相手にしたレンタルビデオショップで、1本のVHSテープに3本の映画が3倍速で入っているという、壮絶に画質の悪いビデオを借りてきて観たのだと思う。調べてみると、1992年の12月に観ている。その前日に観ているのは、やはりチャウ・シンチー主演の『望夫成龍』だ。「電影風雲」という香港映画同人誌で、チャウ・シンチー全作レビューをするために、ひたすら画質の悪いビデオを観続けていた頃だ。
 すっかり名前も忘れていたのだけれど、マックス・モクの出ている映画もあの頃は山のように観たものだった。いまはどうしているのだろう? チャウ・シンチーたちチンピラを率いる組織のボスを演じているのは、いまは亡きン・マンタだ。チャウ・シンチーと組んではいても、ここではシリアスな演技に徹している。後に2人で組んで、バカバカしいコメディを量産することになるとは思いもしなかったのだろうな。主題歌を歌っているのはアンディ・ラウ。主題歌が流れると必ず回想シーンに突入するという「サリー・イップの法則」もここでは健在だ。とにかく、なにもかもが懐かしい。
 監督は『上海グランド(新上海灘)』のプーン・マンキッ。

【映画】Ten Little Mistresses

 フィリピン映画『Ten Little Mistresses』を観る。
 大富豪ドン・ヴァレンティン(ジョン・アルシリア/John Arcilla)の館に、彼の誕生日と、新型コロナ感染からの生還を祝って、ひと癖もふた癖もありそうな10人の愛人が集まってくる。実はパンデミックの間にヴァレンティンの妻チャロが亡くなったために、10人はみな、自分こそが正妻の座につけるものと期待して集まってきていたのだった。館には、ヴァレンティンの双子の弟のドン・コンスタンティン(ジョン・アルシリア)も駆け付けてくる。
 そのゲストたちを歓待するための準備を受け持っていたのは、メイド長のリリス(ユージン・ドミンゴ/Eugene Domingo)と大勢のメイドたちであったが、実はヴァレンティンが次の妻に選んでいたのは他ならぬこのリリスであった。
 ところがその夜、パーティの真っ最中に何者かの手によってヴァレンティンが毒殺されてしまう。台風のために警察の到着が遅れている間、リリスはメイドのチクレット(ドナ・カリアガ/Donna Cariaga)とともに犯人捜しに乗り出すのだが。
 なんとなんと、本格的なミステリー映画だったのである。フィリピン映画で、この手の犯人捜しの本格ミステリー映画を観たのは初めてだったので、ちょっと驚いてしまった。しかも、犯人が判明したかと思うと、さらに二転三転が繰り返されるというお約束の展開も待ち構えているのである。フィリピンの映画評論家が、アガサ・クリスティや『ナイブズ・アウト』を引き合いに出して本作を絶賛したとのことだが、さもありなん。とにかく、いままでのフィリピン映画にはなかったタイプの作品で、なおかつミステリーとしてのデキもいいという、ちょっと驚きの作品なのだ。
 容疑者となるのは、探偵役のふたりを含めて13人となるのだが、愛人が10人もいて混乱するだろうと思いきや、最初にそれぞれのキャラクターを上手に紹介していって、しかもそのキャラクターがそれぞれ際立っているので、ほとんど混乱がない。そのあたりは、監督の手腕が光っている。また、いい女優を使っているのだ。
 ポクワン(Pokwang)、アゴット・イシドロ(Agot Isidro)、アルシ・ムニョス(Arci Muñoz)、アドリアンナ・ソー(Adrianna So)といったお馴染みの女優が顔を揃えているほか、カルミ・マーティン(Carmi Martin)、クリス・ベルナール(Kris Bernal)、シャーリーン・サン・ペドロ(Sharlene San Pedro)、ケイト・アレハンドリノ(Kate Alejandrino)、イアナ・ベルナルデス(Iana Bernardez)といった女優たちが愛人役で出ている。で、実はこれで9人なのだけれど、もうひとり、クリスチャン・バブレス(Christian Bables)という男優も愛人のひとりとして出ている。
 そして、メイド長のリリスの捜査を手伝うチクレットを演じているドナ・カリアガが、なかなかよかった。いわゆるワトソン役なのだけれど、ここぞというところで名推理を披露するのは実はこのチクレットだったりするのである。見覚えはあるものの、いままでそれほど注目したことのなかった女優なので調べてみると、『A Very Good Girl』『Love Is Color Blind』『Neomanila』などの作品に出ていたらしい。
 監督は、『ダイ・ビューティフル』『ゲームボーイ』などのジュン・ロブレス・ラナ(Jun Robles Lana)。つい最近観たポクワンとユージン・ドミンゴ主演の『Becky & Badette』の監督でもある。本作では、監督、脚本、製作をひとりで兼ねている。精力的に新作映画を監督する他、The IdeaFirst Companyという会社を率いて数多くの映画製作も担当していたりする才人だ。

【映画】マイネーム・イズ・ハーン

 シャー・ルク・カーン主演のインド映画『マイネーム・イズ・ハーン』を観る。
 アスペルガー症候群を患うイスラム教徒のハーン。母の死後、弟が暮らすアメリカへと移住し、そこで出会ったヒンドゥ教徒のシングルマザー、マンディラと出会い恋に落ちる。病気のために、うまく自己表現のできないハーンだが、彼の一途な性格を見抜いたマンディラは彼と結婚し、幸せな家庭を築く。だが、9.11事件が発生し、アメリカにおけるイスラム教徒の立場は非常に苦しいものとなってしまう。そして、ついにはとりかえしのつかない悲劇が発生してしまう。結婚して「ハーン」という名前に変わらなければ、このような悲劇は起きなかったのに! 激情にかられたマンディラはハーンに別れを告げ、もし戻りたかったら「アメリカ大統領に向かって、私の名前はハーン。だけど、テロリストじゃないって言ってきてよ!」と叫んでしまう。
 家を出たハーンは、アメリカ大統領に会うために、愛する者を取り戻すために、アメリカを横断する旅に出るのだった。
 主演のハーンを演じるのはシャー・ルク・カーン、相手役のマンディラを演じるのはカージョル。『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』といった名作でも共演している黄金のコンビだ。しかも、監督は『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』のカラン・ジョーハル。これで期待しなければ嘘というもの。
 そして、期待は十分以上に満たされた。とても素晴らしい作品だったのだ。
 シャー・ルク・カーンはアスペルガー症候群という非常に難しい設定なので、最初のうちは感情移入がとても難しい。正直、身の回りにいたらイライラさせられるだろうなと思ってしまう。カージョルにしても、よくあんな相手と結婚したなと最初は思ってしまう。だけれど、奇矯な行動の底にある彼の真実の姿をしっかり認めて結婚したのだなと、最後には納得させられてしまう。最初のうちはぜんぜんかっこいいと思わなかったシャー・ルクなのに、次第にかっこいいと思えてくる。
 脚本もお見事。母親は幼い彼に生きていく上でとても大切なことを辛抱強く教えていく。これが、後半で生きてくるのだ。インド映画は、こういった伏線の張り方がとても上手で、感心させられてしまう。アメリカを旅していく途中のさまざまなエピソードも、あとでしっかり活きてくる。
 そして、実に意外なことに、シャー・ルク・カーン&カージョル主演でありながら、豪華絢爛に歌い踊るシーンはなし。アスペルガー症候群の主人公という設定でどうやって歌い踊るのだろうか、このキャラクターで歌い踊ったりしたらキャラクター設定が台無しになってしまうぞと不安になったりしたのだが、ジョーハル監督、豪華絢爛なダンスシーンはしっかり封印しているのである。ふたりが結婚するシーンでインド映画らしい楽しい歌と踊りのシーンはあるものの、そこはしっかりと主人公の設定に寄り添ったダンスとなっている。そして、黒人の集う教会でのゴスペルが響き渡るシーンがあるのだけれど、これが実に感動的に使われていて、きらびやかなダンスシーンばかりがインド映画ではないという底力の素晴らしさを見せつけてくれている。ここぞというところで、がっつりと観る者の魂を揺さぶり、泣かせてくれるのだ。
 このところ、『RRR』のようなやたらと派手なインド映画ばかりを観ているような気がするのだけれど、こういう脚本のしっかりした人間ドラマももっともっと観ていきたいと思ってしまった。162分という長尺をまったく感じさせない作品でした。

【読書】今野敏『任侠学園』中公文庫

 今野敏『任侠学園』中公文庫を読了。
 潰れそうな出版社を立て直した阿岐本組の組長阿岐本雄造がこんど手を出したのは、荒れ果てた高校だった。窓硝子は割られ、正門にはスプレーで落書きがされ、校庭の手入れさえされていない学校の経営を組長が引き受けてしまったために、またしても代貸の日村は胃が痛くなるような日々を送るはめになってしまう。校長も教頭もやる気なし、生徒は理解不能、生徒の親はクレーマー。しかも、問題のある生徒の背後には別の暴力団の姿までがちらつく。ヤクザですらあきれる荒廃した学園を、はたしてたて直すことは可能なのだろうか?
 前作の『任侠書房』も抜群の面白さだったけれど、第2弾の本作も負けずに面白い。かつて仲間由紀恵主演で、ヤクザの娘が学校の教師となる「ごくせん」というテレビドラマがあったけれど、基本路線はあれと同じだ。ただし、こっちはよりヤクザの生き方が徹底している。教師ではなく経営者としてヤクザが乗り込んでくるという話なのだから。とはいえ、ここで描かれているヤクザは、かつての任侠映画にあったような現実にはありえない一種のファンタジーと呼んでもいい組織だったりもするのだけれど。
 やがて、彼らを慕う生徒が現れ、教師もやる気を見せるようになるというお約束の展開ではあるのだけれど、お約束が悪いなんてことはぜんぜんない。お約束の展開ならではこそ、最後にはホロリとさせられてしまうのだから。
 これをテレビドラマにしたら面白いだろうなあと思ったら、映画になっているのか。それは観てみないと。原作同様に面白いといいなあ。
 しかし、今野敏、なんであれだけ量産していて、こんなに面白いんだ。

【読書】ダフネ・デュ・モーリア『レイチェル』創元推理文庫

 ダフネ・デュ・モーリア『レイチェル』創元推理文庫を読了。
 亡き父に代わりわたしを育ててくれた、兄とも父とも慕っていた従兄のアンブローズが、旅先のイタリアでわたしの遠縁にあたるレイチェルという女性と結婚したと連絡が入る。すぐにアンブローズが帰国するものと思っていたのだが、イタリアでの滞在は長引き、やがて体調が優れないという手紙が届いたかと思うと、「すぐ来てくれ。ついに彼女にやられた。私をさいなむあの女、レイチェルに。」という手紙が届く。わたしはすぐにイタリアに旅立ったが、ときすでに遅く、アンブローズは亡くなっていた。
 わたしはレイチェルという見ず知らずの女性に対する憎しみの念を募らせるのだが、やがてわたしの目の前に現れたレイチェルに心を奪われていくのだった。
 このレイチェルという女性が非常に魅力的に描かれている。主人公のフィリップが相続したコーンウォールの広大な領地に現れたレイチェルは、あっという間にフィリップを魅了し、領地で働く領民たちをも味方につけてしまう。その過程がじっくりと描かれていき、読みながら「いや、この女はいろいろとたくらんでいる悪女なのだ」と思う一方で「いやいや、本当は見かけ通りの魅力的な女性なのではないか」と、心は揺れ続ける。
 フィリップは広大な領地、莫大な財産を相続しているが、遺言書の定めにより25歳になるまで財産を自由にはできないことになっている。もうすぐその誕生日がくるフィリップは、正式に財産を相続したらレイチェルと結婚して、その財産をすべてレイチェルに贈与しようと計画しはじめるのだが……。
 フィリップのことを慕うルイーズという女性から「アシュリー夫人(レイチェル)ほどの女性ともなれば、あなたのような若造くらい難なく手玉に取れるんだってことよ」と言うセリフが飛び出し、まさにこれが真相であると思えてくる。あるいは、フィリップの財産を管理し、フィリップの相談役ともなっている名付け親のケンダルから「世の中にはな、フィリップ、本人にはなんの咎もないのに、災厄をもたらす女というのもいるんだよ。そういう女たちは、触れたものをことごとく不幸にしてしまうんだ」と忠告される。あるいは、こちらが真相なのか。だが、恋で盲目となった若者に、そういう言葉が届くはずもない。
 中盤を過ぎ、レイチェルを告発するアンブローズの手紙が出てきたあたりから、はたしてどうなってしまうのか、本当にレイチェルは悪女なのか、真相が知りたくてページをめくる手がとまらなくなってしまう。派手な展開があるわけでもないのに、ぐいぐいと読まされてしまうのだ。すごいな、デュ・モーリア
 実は、デュ・モーリアの代表作である『レベッカ』をいまだ読んでいない。これは、読まないわけにはいくまい。

【映画】流転の地球

 中国映画『流転の地球』を観る。
 太陽の寿命が尽きようとしており、300年以内に赤色巨星となるものと予想された。そのため、地球そのものをロケットとして、2500年かけて4.2光年彼方の別の太陽系に移動するという計画が立てられる。だが、その途中で地球は木星の重力圏につかまってしまい、徐々に木星に引き寄せられていくのだった。
 なかなかスケールの大きなSF映画である。地球そのものをロケットにして移動させるという基本的な発想は『妖星ゴラス』と一緒ではあるのだけれど、なにしろこちらは地球ごと別の太陽系まで移動しようというのだ。
 舞台はウー・ジンのいる宇宙ステーションと、地球ロケットを再起動して地球を救おうとするウー・ジンの息子たちの奮闘を描く地上とにわかれる。両方とも、次から次へとスケールの大きな危機が襲いかかり、ひたすらクライマックスが続くような展開となる。ただ正直、地上の方はなにをやろうとしているのかが、いまいちよく分からない。主人公たちが必死になってやっている行動がうまくいかなければ、地球は救えないのだなということだけは伝わってくるのだけれど、なんかせっかく盛り上がっていても、いまいちやっていることの意味が伝わらないのではもったいない。
 ウー・ジンアンディ・ラウ主演の『流転の地球 -太陽系脱出計画-』は、本作の前日譚とのこと。こちらもなかなかスケールの大きな作品とのことで劇場で観たかったのだけれど、上映館が少なすぎて配信待ちとなってしまったのは残念。