【読書】岡田薰『半径50メートルの世界』論創社

 岡田薰『半径50メートルの世界』論創社を読了。
 サブタイトルに「フィリピン バランガイ・ストーリー」とある。バランガイというのはフィリピンの自治体組織の最小単位をいう。日本でいえば町とか村に近いかもしれないが、より積極的に地域における紛争の調停・仲介などをおこなう。その長は選挙で選ばれるのだが、それなりに権力も持つために選挙には汚職やら暴力事件やらがつきまとう。
 そうした狭い地域で著者が見聞、体験したエピソードを通してフィリピンの素顔を紹介しているのが本書だ。正直、ここで紹介されているエピソードに登場してくるのは、よほど体力がないとつきあいきれないようなキャラクターばかりだ。自分もかつてキアポという下町に潜り込んでいた時期があるのだけれど、短期間だったから表面的なつきあいだけで済んだ。だけど、著者のようにどっぷりと浸かって暮らすとなると、自分だったら疲弊しきってしまうだろう。なにしろ、とにかく酒を飲む。道ばたでたむろして酒を飲む仲間に加わり、バーに繰りだし、何軒も梯子をして、さらにはそこで知り合った人間の家にまで乗り込んで行って酒を飲む。そうやって広げていったつきあいが多く紹介されている。若くて体力がなければ絶対に無理。
 本書に出てくる女性たちの多くは、若くして母親になるのだが、父親の違う子どもが何人もいるのが当たり前だったりする。そのために人間関係が複雑で、読んでいても誰と誰がどういう関係なのかがよくわからなくなってしまう。そして、多くの父親は養育費など払わず、ギャンブルに手を出し、昼日中から飲んだくれていたりするわけだ。
 もちろん、これはフィリピンという国の一側面にすぎない。それこそ、著者が実際に見聞きした「半径50メートルの世界」の話なのだから。でも、こういう「半径50メートルの世界」の情報を積み上げていくことで、初めて見えてくるものが確実にある。
 本書は、ドゥテルテ大統領の時代が舞台となっている。その後、ボンボン・マルコス大統領に変わって、フィリピン社会がどう変わったのか、あるいは変わっていないのか、続編も読んでみたくなる。

 かつて、ブリランテ・メンドーサ監督の『サービス』という映画を観た時に、ココ・マルティンがお尻にできたおできに悩まされていて、そこにコカコーラの瓶をあてて膿を吸い出させるという場面があった。本書を読んで、それが「ピグサ」と呼ばれる細菌感染症の民間療法であると知ることができた。
 また、フィリピン映画には臓器移植のための誘拐をテーマにしたものがあったり、お金のない映画監督がジョークで「腎臓売ります」と言ったりすることがあったのだけれど、それがアロヨ政権時代に腎臓手術が格安でできると海外の患者を積極的に呼び込んでいたためということも判明した。
 なにげなく見聞きしていたことが、こうして思いもかけず「なるほど」と思えたりするのも、読書の楽しみのひとつだよなあと納得してしまった。