★スローターハウス5(映画)

 原作を読み終えた勢いでジョージ・ロイ・ヒル監督の映画『スローターハウス5』を観る。


 原作にかなり忠実に映画化されているものの、こうして観ると、原作になかったエピソードが映画版ではけっこう付け加えられていることがわかる。ビリーの妻が、ことあるごとに「あなたのために、今度こそ痩せてみせるわ」という台詞を繰り返すところなど、実にうまい改編だと思う。
 原作における過去も未来もすべて決まっていて、人間の自由意志によって変えることはできないという設定が、映画ではいささか中途半端な扱いに変えられている。それゆえ、ビリー・ピルグリムは飛行機に乗ってからその飛行機が墜落することを知り、「この飛行機は墜落する」と大騒ぎをするのだけれど、本来の設定では飛行機が墜落することは確定した未来のできごとであり、ビリーだってそのことをずっと知っていたし、そういうものだと思っているので大騒ぎするわけがないのである。そのあたりは、よりわかりやすくするために、脚本家としてはそうとう頭を悩ませたのではないだろうか。時間軸をあっちこっち飛ぶ物語なので、それをわかりやすくするにも、けっこう苦労しただろうと思う。
 結果、非常に優れた脚本に仕上がっていると感じた。
 それと、映像が美しい。空襲を受ける前のドレスデンの街並み、トラルファマドール星の光景などなど、なんとも魅力的だ。ラストシーンも完全に映画オリジナルの場面だけれど、感動的なまでに素晴らしい。
 そして、ヴァレリー・ペリンだよね。いま観ると「こんなにふっくらとした顔だったんだ」とビックリしてしまうのだけれど、初めて劇場で観た時には「なんと魅力的な女優なんだ」と惚れこんだものです。彼女の描写も原作ではけっこうあっさりしていたのだけれど、映画版ではそれなりに重要なキャラクターとして描かれていて、そこも映画版の好きなところ。
 結局、ジョージ・ロイ・ヒル監督は原作を換骨奪胎して、あくまでも自分の映画として仕上げたということなのでしょう。

 そして、小説と映画の両方を味わってみていまいちよくわからなかったのが、トラルファマドール星に拉致されたはずのビリーが、その後の人生を地球で過ごしているという描写と整合性がとれないのではという部分。いつトラルファマドール星から地球に帰ってきたのだろう?