
樋口明雄『南アルプス山岳救助隊K-9 遙かなる蒼峰』徳間文庫を読了。
北岳の山小屋でスタッフとして働くようになっていた、奇妙な関西弁をあやつるアメリカ人、ニックの親友が亡くなった。かつて、国家機密にかかわる業務に携わっていた仲間なのだけれど、その業務にかかわっていたメンバーが次々と不審な死を遂げており、それが理由でニックは日本に逃げてきていたのだった。だが、残っていた唯一のメンバーである親友を失い、その親友と一緒に歩くはずだったヨセミテのジョン・ミューア・トレイルを歩くために、ニックはアメリカへと帰っていく。山岳救助隊の神崎静奈は、ニックを守るため、彼を追ってアメリカに渡るのだったが……。
今回はアメリカのヨセミテが舞台ということもあって、シリーズの番外編的な作品となっている。いちおう、国家機密にかかわった人間を抹殺しようとする組織が登場してはくるものの、本筋となっているのは壮大な大自然の中に作られたジョン・ミューア・トレイルという340キロメートルにおよぶ長距離自然歩道の描写だ。ニックが歩き、静奈がそれを追い、やがて公園局レンジャーのグレッグが仲間に加わり、さらには杉本という奇妙な日本人もがグループに加わり、ひたすらトレイルを歩き続ける。その過程の描写が実に魅力的なのだ。自然を可能な限り破壊しないというスタンスによって整備されたトレイルは、日本のハイキングコースとは根本的に異なり、気軽に歩けるようなコースとはなっていない。そこを歩き続けるというだけの描写なのに、ぐいぐいと読まされてしまうのだ。あたかも、テレビでマラソン中継を延々と観ているようなものだろうか。それなりに走っている背景が変わるにしても、基本はただただ走っている選手が映っているだけなのに、なぜか観続けてしまうマラソン中継。そんな、マラソン中継のような小説なのだ。もちろん、マラソン中継で選手に関する解説があったり、コースに関する解説があったりするように、この小説でもジョン・ミューア・トレイルの成り立ちから、そこを歩く際のルールなどに関する描写などもしっかり入ってくる。
国家機密にかかわった人間の抹殺という要素がそもそもの発端ではあるものの、極論してしまうとそんな要素などなくてもいいと思ってしまう。ジョン・ミューア・トレイルを歩く中で出会う様々なエピソードを描いていくだけで、充分に1本の長編小説となるだろう。まあ、それでは「南アルプス山岳救助隊K-9」のシリーズにはならないのだけれど。
かつて大人気を博した「ルート66」というテレビドラマは、ルート66をスポーツカーで旅する若者が出会うエピソードを描いて全116話まで作られている。あれのジョン・ミューア・トレイル版があってもいいのではないだろうか。そんな妄想をしてしまいたくなるような小説だった。
いままでこのシリーズを読んでいない読者でも、単独作品として楽しめる作品に仕上がっているので、まずは本作からこのシリーズに触れてみるというのもいいのではないだろうか。