【読書】テオフィル・ゴーチェ『魔眼』教養文庫

 テオフィル・ゴーチェ『魔眼』教養文庫を読了。
 表題作は、本人の意思とは関係なく、見つめた者に不幸をもたらす「魔眼」の持ち主を主人公にした物語。彼と出会ったことで愛する女性は健康を損ねていき、自分が「魔眼」の持ち主ではないかと疑った主人公は恋人に会うのをやめようとするのだが、女性の方は「魔眼などというものはない。もしあったとしても、あなたに見つめられることで死んだとしてもかまわない」と言い張る。愛し合うふたりをめぐる物語を、過剰なまでの描写を駆使した文章で描いていく。
 本当に主人公が「魔眼」の持ち主であるのかどうか、それは明らかにならないまま、悲劇に終わる。なかなか雰囲気のある作品だった。
 これを読んで思い出したのは、平井和正が原作を書いた池上遼一の『スパイダーマン』の中の「金色の目の魔女」を思い出した。あれもまた「魔眼」を題材にした作品だった。
 表題作の他に「金の鎖またはもやいの恋人」「クレオパトラの一夜」を収録している。いずれも絶世の美女を愛してしまった若者の物語を、これでもかこれでもかとしつこいばかりの描写で描いていく。幻想小説的な要素はないものの、この雰囲気は決して嫌いではない。
 ところで、この翻訳はないよなと思わせる箇所があちこちにあって、いささか興を削がれる思いをさせられた。例えば、クレオパトラのセリフは「わらわは……じゃ」という調子の翻訳文となるのだが、その中に突然「おでこをぶっつけずには真っ直ぐ立てそうにない」というセリフが紛れ込むのである。そこは「額をぶつけずには」ぐらいにしてくれないと。せっかく雰囲気たっぷりのセリフが続いているのに、「おでこをぶっつけず」などというセリフが飛び出してきてガクッとしてしまう。他にも同様に美文調の中に唐突に違和感バリバリの表現が紛れ込んでいたりするのである。
 が、それはまだしも、「酒呑童子のような赤ら顔」「彼以上に石部金吉で女に冷淡」という翻訳は、さすがにないだろうと思うぞ。原文がどうなっているのかは分からないけれど、フランス語の翻訳で「酒呑童子」とか「石部金吉」は雰囲気ぶちこわしもいいところではないか。
 あと、訳注が多すぎるのもどうかと思った。「ヴァン・ダイク」「ルーベンス」「メフィストフェレス」「ヴォルテール」「スタンダール」レベルでいちいち訳注をつける必要はないだろうに。