★高野史緒『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』ハヤカワ文庫JA

 高野史緒グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』ハヤカワ文庫JAを読了。
 月と火星に人類が進出しながらも、スマホはなく、インターネットは実用化されたばかりという世界に生きる夏紀。スマホ量子コンピュータもあるが、人類はいまだ月面にも火星にも進出していない世界に生きる登志夫。異なる世界に生きる二人だが、その二人には幼い頃に土浦の亀城公園にある小さな丘の上で、頭上を飛ぶ飛行船、グラーフ・ツェッペリンを見たという記憶があった。グラーフ・ツェッペリンが土浦に来たのは1929年。ふたりが生まれるよりもずっと前のはずなのに。しかも、夏紀の生きる世界ではグラーフ・ツェッペリンは土浦に来た際に爆発炎上を起こしていたが、登志夫の生きる世界では爆発炎上など起こしていなかった。
 過去のどこかで分岐したらしき異なる世界に生きるはずのふたりが、なぜか共通の記憶を持ち、そしてやがて接点を持つことになるのだが……。

 目覚めた時に「ああ、なにか夢を見ていたな」と、夢を見たことは覚えていても、その内容はまったく覚えていないということがよくある。本書の著者である高野史緒さんは、もしかしたらその夢の内容をしっかり覚えているのではないだろうか。本書の白眉となるクライマックスは、まさしくそういう描写が続く。その場面になった途端に、文章に疾走感が加わり、読むのをとめられなくなる。そして、なんとも切ない展開を迎える。
 65歳になる自分が、こうした青春SFでしんみりさせられるとは思わなかった。まいった。
 従来の高野史緒さんの作品とは、まったく異なるテイストの作品である。高野さんの出身地である土浦を舞台にし、周辺の電子機器がなぜか頻繁に不調をきたすという高野さん自身の体質(?)を題材としてとりこんでいるのだけれど、そういう作品を書くなどとは思ってもみなかった。しかし、それでいてまごうことなき高野ワールドを具現化した作品でもある。明らかに進化している。すごいな。

 巻末の「あとがき」を読んで、また別の意味でしんみりさせられてしまった。