★BARUMBADINGS

 フィリピン映画『BARUMBADINGS』を観たのだけれど、なんというか、実に変な映画だった。

 監督は世の良識派の人々が眉をひそめるであろう映画ばかりを撮っているダリル・ヤップ。本作も、真面目な映画ファンなら、のきなみ眉をひそめるような映画だった。

 幼きゲイのジョパイ、アイジー、ロシェルは、ゲイであるということをからかわれると、相手が不良グループであっても負けずと襲いかかるような3人組だった。
 偶然の出会いからその3人を育てることになるのが、ファッション界のカリスマでもあるゲイのマザー・ジョイ(ジョエル・トーレ)だった。ジョイは3人を慈しみ、ファッションモデルとして育てようとするのだが、ゲイとしての生き方の違いから3人はジョイのもとを去る。
 3人が次に出会ったのは、ゲイを迫害する男性を殺害する組織「バルンバディングス」を率いるクイーンピン(ジョン・ラプス)だった。クイーンピンは3人を腕利きの殺し屋として育て上げる。
 だが、その「バルンバディングス」に、謎の組織「ザ・ブッチャーズ」の殺し屋が襲いかかってくる。その襲撃をかろうじてはねのけた3人は、「ザ・ブッチャーズ」がゲイの撲滅を目論むレスビアンの組織であることをつきとめる。その組織を率いるブッチ(セシル・パズ)こそは、なんとかつてのクイーンピンの恋人だった。
 そして、「ザ・ブッチャーズ」の殺害予定リストにマザー・ジョイの名前があることを知った3人は、ジョイを守るためにかつて世話になったジョイの経営するブティックに駆け付けるのだったが……。

 いやはや、なんと言ったらいいのか、とにかく変な映画だった。映画が始まるとじきに画面に大きく「VOL.1 DEAD MOTHER, DEAD ALL!」という文字が出てくる。ここで第1章と出てくるからには、どこかで第2章となるのだなと思っていると、最後の最後、「バルンバディングス」と「ザ・ブッチャーズ」が全面激突しようという場面で「VOL.2 RISE OF THE TRANSGINGER」という文字がドーンと出て、そこで終わってしまうのである。えっ、続篇に続くってこと? だけど、そんな映画が作られているという気配はないし、どうも「そういう設定にしてみました」ってことのようなのである。いや、だけど、こんな終わり方でいいの? ま、ダリル・ヤップ監督、『Ang babaeng walang pakiramdam』でもとんでもないラストシーンを用意していて度胆を抜かれたからなあ。
 途中、「ザ・ブッチャーズ」の殺し屋が3人に襲いかかってくるシーンがあるのだけれど、ここがやたらと長い。映画全体のバランスを崩すほど、この闘いの画面が長く続く。ちなみに、本作の上映時間は1時間15分。めちゃくちゃ短い映画なのだ。それなのに、中盤のバトルシーンを不自然なほど長く続けて、そのくせラストのバトルシーンは「続篇に続く」ということにしてカットしてしまっているのである。なに、それ?
 登場人物はほぼゲイとレスビアンのみ。あとは、ゲイの3人をからかって痛い目をみる不良グループとか、ゲイを迫害したために殺される男性とか、それぐらいしか出てこない。ちなみに、ゲイを演じている役者のうち、本当にゲイなのはクイーンピンを演じているジョン・ラプスのみ。マザー・ジョイを演じているジョエル・トーレなんて、『牢獄処刑人』の主役を演じていた実に男臭い俳優だったりする。それが、よくまあこんな役を演じたものだ。
 そうそう、どうしてレスビアンの組織がゲイの撲滅を目論んでいたのかという理由なのだけれど、これがまたすっとぼけている。「ゲイが世間からもてはやされ自由を謳歌している間、自分たちレスビアンはまったく陽の目を観ることがなかった。あなたたちゲイは、あたかも自分たちだけが世間の被害者であるかのようにふるまっているけれど、けっこう表に出て注目されたりしているじゃない。本当の被害者は、わたしたちレスビアンなのよ!」というのが、その理由なのである。

 ちなみにIMDbでの評価を見ると、101人が投票していて10点満点のうちの2.4点。いやはや、さすがにこれほど点の低い映画も珍しいのでは。