★少林寺 十八の羅漢

 中国映画『少林寺 十八の羅漢』を観る。

 なにゆえ、数ある少林寺映画から本作を選んだかというと、『イップ・マン 立志(葉問宗師覚醒)』と同じく、主演がシェー・ミャオ(謝苗)、監督が李希傑(リー・シージェ)&張著麟(ジャン・ジェアリン)という組み合わせだったからだ。やたらとパチモンの多いイップ・マン映画であるが、『イップ・マン 立志』は悪くはなかった。中国で撮ったこの手の映画としては、かなりデキのいいたぐいだった。
 結果、本作もなかなかの仕上がりとなっている。
 明の時代、中国各地で倭寇が暴虐の限りを尽くしていて、朝廷もその対策に苦慮していた。そこで、軍隊に武術を教えるべく、少林寺の18人の僧侶が派遣されることになる。だが、彼らが辿り着いた時には軍隊はすでに倭寇によって全滅していた。与えられた使命を果たすすべを失った僧侶たちだったが、襲い来る倭寇から村人たちを守るために立ち上がるのだった。

 正直、日本人の扱いはかなりひどい。昔からアジア映画を山ほど観てきている自分などは免疫ができているので、「ま、こんなもんだろうな」と思うけど、免疫のない人にはこの描写だけでこの映画を受けつけられないかもしれない。こんなもん、異世界ファンタジーだと思えばそれでいいんだけどね。リアルな日本人を描こうなんて気持ちは、さらっさらないんだし。
 あと、倭寇の鬼畜ぶりの描写も容赦がない。これも許しがたいと思う人も出てくるんだろうなあ。だけど、アジアのB級・C級映画で日本人が悪役として描かれる場合は、たいていこんなもんですよ。それに、悪役の描写が半端なければないだけ、観客の怒り、悔しさの感情がヒートアップして、主人公がそれを倒した時の快感がいや増すというものなのです。それこそ、映画の文法に則った描き方としかいいようがない。
 というわけで、まずこの映画は観る人を選ぶということだけは最初に断っておきたい。そこをクリアできた人だけが楽しめる映画なのだ。

 さあ、そのハードルを乗り越えた人にとってこの映画は、なかなか充実したクンフー映画となっている。まず、主人公の身のこなしがいい。なにせ、ガキの頃からジェット・リーと組んでクンフー映画に出ていたシェー・ミャオが主演なのだ。そして、アクションシーンの演出もなかなかいい。香港映画と違って、中国映画はこのアクションシーンの演出がいまいちだったりするのだけれど、本作はなかなか見せてくれる。また、前述したように悪役が徹底的に極悪非道に描かれているので、それに立ち向かう少林寺僧というドラマによる盛り上がりも文句なし。
 とはいうものの、あくまでも中国のこの手のクンフーアクション映画としては上出来の部類に入るというだけで、香港のデキのいいクンフー映画のレベルには遠く及ばない。そこは、中国映画、まだまだといったところだろう。