【映画】ストリートダンサー

 今年最初の映画は、インド映画の『ストリートダンサー』
 舞台はロンドン。インド系の青年サヘージ率いるダンスチーム「ストリート・ダンサー」と、パキスタン系の女性イナーヤト率いるダンスチーム「ルール・ブレイカーズ」は、ことあるごとに対立し、ダンスバトルを繰り広げていた。そこに、10万ポンドの賞金が獲得できるダンスバトル大会「グラウンド・ゼロ」の開催が発表され、両チームは優勝を目指してその大会に参加することになる。だが、トップクラスのダンスチーム「ロイヤルズ」から声をかけられたサヘージたちは、自分のチームを離れて「ロイヤルズ」に合流するのだった……。
 インド映画にとってダンスバトルほど相性のいい題材はなかろう。なにせ、ひたすら踊り続けるシーンを、いくらでも盛り込むことができるのだから。ところが、いざ観てみると、延々と続くダンスシーンにいささか食傷してしまう。きっちりしたストーリーがあって、そのストーリーを盛り上げるために存在するダンスシーン、それがインド映画の醍醐味なのだとよくわかった。この映画は、ダンスシーンのためのダンスシーンが延々と続き、そのダンスがストーリーにからんでこないのだ。しかも、チーム対抗の大会なのに、「ルール・ブレイカーズ」が負けそうになるとサヘージが「ロイヤルズ」を裏切って「ルール・ブレイカーズ」のダンスに加わったり、決勝戦でチームの名前を「ルール・ブレイカーズ」から「ストリート・ダンサー」に変えたりと、それって大会のルール的に許されるの?という脚本はさすがにご都合主義すぎる。
 とはいえ、こうした作品であってもきっちりと社会性を持たせ、ここぞというところで泣けるクライマックスを用意するところなどは、さすがはインド映画。いささかあざといと思いつつも、こうでなくっちゃと嬉しくなってしまう。
 監督は『ロボット』『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え! No.1!!』『バジュランギおじさんと、小さな迷子』など数多くの作品でダンスシーンの演出を担当してきたレモ・デソウザ。本作のダンスシーンの演出では、やりたいことはことごとく盛り込んだのではないだろうか。
 主役のサヘージを演じているのは、『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え! No.1!!』のヴァルン・ダワン、ヒロインのイナーヤトを演じているのは、『愛するがゆえに』『サーホー』のシュラッダー・カプール

【映画】我、邪で邪を制す

 Netflixにて台湾映画『我、邪で邪を制す』を観る。
 凶悪犯であり、三大指名手配犯のひとりとされる陳桂林(阮經天)は、ただひとりの身内である祖母を亡くした直後に、自分が末期癌であることを知らされる。余命は長くて半年、短くて3ヶ月。医者から諭されて、いったんは自首しようと思うのだが、それよりも三大指名手配犯の他の2人を殺して自分の名を残そうと決意し、そのための行動を起こすのだが……。
 なかなか先の読めない展開の映画で、途中で「うーむ、これはいったいどうなってしまうのだろうか」と不安すら覚えるのだが、そこから「おおっ、やはりこういう展開にいくか」とひと安心するものの、さらに予想だにしない場面が展開され、さすがにかなり驚かされる。シンプルなアクション映画ではなく、けっこうクセのあるストーリーなので評価はわかれそうだ。自分としては、嫌いではないものの、途中の新興宗教がらみの展開とか、ラストシーンとか、ちょいと引いてしまった。
 アクションシーンはなかなか切れ味がするどい。しかも、めちゃくちゃ痛そうだ。主人公は、けっこう満身創痍になるのだけれど、なんであれで死なないんだ?とか思ってしまう。台湾映画も、なかなかしぶとい男たちが多いなあ。
 アクションシーンの演出を担当している洪昰顥は、『狂徒』『ミス・シャンプー』『僕と幽霊が家族になった件』などのアクションシーンを演出してきた人とのこと。
 個人的な好みとしては、ヒロイン程小美を演じていた王淨(ワン・ジン)がちょいとはかなげでよかった。『赤い糸 輪廻のひみつ』のピンキー役とはぜんぜん違うキャラだけれど、両方ともとってもいい。『僕と幽霊が家族になった件』にも出ているので、今年になってから彼女の出ている映画を3本も観ていることになる。これからも、もっと彼女の出ている映画を観ることができるといいなあ。

【映画】ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件

 トニー・レオンアンディ・ラウ主演の『ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件(金手指)』を観てきた。
 ネットで応募した東洋経済新報社主催の試写会に当選したのだ。会場は日比谷公園の片隅にある日比谷コンベンションホール。どんな会場かと思ったら、けっこう小さな会場で、映画上映用の施設ではないのでスクリーンも実に小さい。上映が始まっても、会場内がぼんやりと明るいという、いささか残念な試写会会場なのであった。

 東南アジアで事業に失敗して、我が身ひとつで香港にやってきたチン・ヤッイン(トニー・レオン)。彼はおのれの才覚だけを頼りにのし上がっていき、たちまちのうちにいくつもの企業を抱える大実業家へとのしあがっていく。だが、そうなるために、チンは違法な行為を繰り返していたのだった。そのことをかぎつけたICAC(廉政公署:香港警察の汚職を取り締まるために設立された組織)のラウ・カイユン(アンディ・ラウ)は、執拗にチンの有罪を立証すべく捜査を続けていくのだった。

 『インファナル・アフェア』以来、20年ぶりにトニー・レオンアンディ・ラウの共演が実現した作品である。監督・脚本は『インファナル・アフェア』の脚本家であるフェリックス・チョンチョウ・ユンファ&アーロン・クォック主演の『プロジェクト・グーテンベルク』の監督でもある。
 さすがに見ごたえたっぷりな作品に仕上がっている。トニー・レオンが貫禄たっぷりに悪役を演じれば、アンディ・ラウは真っ向勝負の正義漢を演じている。そこに、サイモン・ヤム、タイ・ポーなどの渋い脇役が作品を引き締める。シャーリーン・チョイも実にいい女っぷりを披露してくれる。
 そして、美術がすごい。いまはなきかつての香港の光景を再現したかと思うと、超大物となったチンの豪華きわまりないオフィスをこれでもかこれでもかと描いていく。役者、美術、ともに実に豪勢なのだ。
 が、正直言うと、株のことがよくわからんので、チンがどういうあくどいことをやって財産を築き上げているのかが、いまいち伝わってこないところがなんとも歯がゆい。やっていることのどこからどこまでが非合法なことなのかがよくわからないし、そもそも何をやっているのかもよくわからない。そして、チンという男が、どこまで悪党なのかもよくわからない。都合の悪い人物が片端から消されていくのだけれど、あれはすべてチンの仕組んだことなのか? ラウを家族もろとも消そうとしたのもチンの仕組んだことなのか? そこもよくわからない。本当に悪に徹したキャラクターであったならば、簡単にラウを消し去ることも可能なだけの力を持った人物なのに、それをしなかったのは心底からの悪党ではなかったからなのか?
 そして、もうひとつ不満なのは、ラストがあまりにもあっけないということ。実話をベースにしているとのことなので、そこを変えるわけにはいかなかったのだろうけれど、あまりにもあっけないぞ。
 とまあ、すごく満足する要素と、なんとも消化不良な要素とが同居しているという映画であった。
 そうそう、もうひとつ満足する要素をつけくわえるならば、まったく予期していなかった場面でアニタ・ユンが出てきたということ。いやあ、唐突にアニタ・ユンが画面に現れたときには、実にびっくりしたぞ。
 それにしても、この邦題、オリジナルの英題に忠実とはいえ、なんとかならなかったものかなあ。『ゴールドフィンガー』っていったら、誰もが007を思いだしてしまうよね。

 上映終了後に映画評論家の江戸木純さんと、マツコ・デラックスの「月曜から夜ふかし」でお馴染みの桐谷広人さんによるトークショーがあった。なんで桐谷さんと思ったのだけれど、よくよく考えてみたらこの人、投資家なのであった。株主招待券であれこれやっている人というイメージしかなかったのだけれど、それだけ株主招待券を手にしているということは、けっこうな金額を株に投資しているということなのだった。
 株にのめりこんだ人間は、いっときは莫大な稼ぎをたたき出すことはあっても、たいていは全部失って借金を抱えて死ぬという話には笑ってしまった。

 ところで、隣の席に座っていた男性、映画が始まるなり寝息をたて始めて、やがて軽いながらもイビキをかきだしたのには参ってしまった。しょうがないので、肘でつついたりもしたのだけれど、それでいったんはイビキはおさまっても、じきにまた寝息をたてはじめて、結局は後半になるまでずっと寝息をたて続けていた。いったい、何をしにきたんだ?

【映画】JAWAN/ジャワーン

 シャー・ルク・カーン主演のインド映画『JAWAN/ジャワーン』を観てきた。

 ストーリー紹介は何を書いてもネタバレになりそうなので、実に難しい。
 インド北部の国境近くの村に、銃で撃たれて瀕死の状態となった男(シャー・ルク・カーン)が川の上流から流されてくる。村人によって救われた男は、意識を失ったまま昏々と眠り続けていたが、軍服姿の男たちが村を襲撃して村人の虐殺を始めたとき、突如として目を覚まし、襲撃者たちをかたはしから叩きのめしていくのだった。いったいこの男は何者なのか? だが、男は記憶を失っており、自分が何者なのかわからなくなっていた。男に命を救われた少年は、自分が大人になったら絶対に身元を探り出してみせると約束するのだったが……。
 それから30年後。全身に包帯を巻いた謎の男と若い女性たちの一団がムンバイの地下鉄を乗っ取り、身代金として4000億ルピーを要求する。人質となった乗客の中に武器商人カリの娘がいるように仕組まれていたことから、多額の身代金はカリに対して要求され、娘のためにカリはその身代金を支払う。事件を担当するテロ専門部隊を率いる女性警官ナルマダ(ナヤンターラ)は、地下鉄が駅に到着したところで犯人一味を逮捕すべく待ち構えていたのだが、犯人たちはみごとに姿をくらましてしまう。しかも、振り込んだ身代金を取り戻そうとしたときには、すでに全国70万人の借金をかかえる農民たちの銀行口座に振り込まれたあとであった。はたして、この犯人一味はいったい何者で、何が目的なのだろうか。
 というのが、冒頭部分である。ここまでで充分に面白いのだけれど、本当に盛り上がるのはここからなのである。だが、それを書くわけにはいかない。あんなことやこんなことがあって、そこからさらにあんな展開まで待ち構えているのだけれど、それはすべて観てのお楽しみ。
 だけど、これは書いても大丈夫。シャー・ルク・カーンがね、めっちゃかっこいいんです(きっぱり!)。通常の2倍モードでシャー・ルクを満喫できる映画なのです。葉巻をくわえたシャー・ルクが登場してきたシーンでは、本気で鳥肌がたったもんね。まさにキング・オブ・ボリウッドと呼ぶにふさわしい魅力と貫禄!
 登場する女性たちも豪華そのもの。シャー・ルク率いる強盗団のメンバーは全員女性だし、強盗団を追う警察官も女性だし、女子刑務所が主な舞台となるのでわんさと女性たちが登場してきて全員で派手に踊るし、しかもどういう設定か書くわけにはいかない役でディーピカー・パードゥコーンまで出演しているのである。
 そして、繰り返される派手なアクションシーン! 肉弾戦あり、銃撃戦あり、カーバトルありと、多彩なアクションシーンが遠慮容赦なく繰り広げられるのである。ある場面では、思わず「ワイルド7かよ!!」って、心の中で叫んでしまったからね。いや、本当に「ワイルド7」そのもののバイクアクションが観られるのですよ。このシーンでは、またしても鳥肌が立ってしまった。すごいぞ、インド映画。
 もちろん、豪華絢爛なダンスシーンもたっぷりと盛り込まれている。最近は、このダンスシーンの控えめなインド映画も増えてきている印象なのだけれど、この映画ではダンスシーンの撮影だけで何日かかっているんだ!というくらいに、遠慮なくたっぷりと踊りまくっている。
 これだけ娯楽に徹した映画だというのに、それでいて力強い社会派ドラマとしての一面もあったりして驚かされる。最後にこめられたメッセージには、ちょっと感動させられたからね。徹底した娯楽映画でありながら、これをやってくれちゃうんだ! すごいな、インド映画。
 とにかく面白い。遠慮容赦なく楽しませてくれる。これだけあれこれたっぷり盛り込んで、よくぞ171分におさまっているものだと、そんなことにも感心させられてしまう。
 久しぶりに、インド映画の圧倒的な底力を見せつけられた作品なのでありました。

 でも、ひとつだけ文句をつけるとしたら、パンフレットの表紙の写真は違うと思うぞ。この映画の魅力をぜんぜん反映していないじゃん。あんなハゲ頭の親父が主人公の映画と思われたら配給会社としては絶対に損だと思うぞ。

※パンフレットに使われていたのはこの画像。これで観に行こうと思う人は少ないのでは?

【映画】レオノールの脳内ヒプナゴジア

 フィリピン映画『レオノールの脳内ヒプナゴジア(Ang Pagbabalik ng Kwago)』を観る。

 かつて映画監督だったレオノール。72歳となったいまは、かつて監督した自作のアクション映画をボーッと眺めるだけの日々を送っていた。だが、新聞で脚本コンクールの記事を目にし、むかしの書きかけの脚本を引っ張り出すと、ふたたび脚本を仕上げようとタイプライターに取り組む。ところが、隣人が窓から放り投げたテレビが彼女を直撃してしまい、ヒプナゴジア(半覚醒状態)に陥ってしまう。その結果レオノールは、悪辣な市長に狙われたヒロインを助けようとするヒーローを主人公とする書きかけの脚本の世界に入り込んでしまうのだった。
 一方の現実世界では、息子のルディが目覚めようとしない母親を心配して病院に付き添っているのだが、やがて母が書きかけの脚本の世界にいることを知り、なんとか脚本の世界から母を連れ戻そうとするのだけれど……。

 なんとも奇妙な映画である。現実世界では、事故で亡くなった息子のロンワルドが幽霊となってうろうろしているし、脚本の世界ではロンワルドという名前のヒーローが悪辣な市長と闘っている。その脚本の世界に入り込んだレオノールは、途中までは物語の展開を把握しているのだけれど、脚本がなくなったところから自分が物語に関与して主人公を助けようと行動を始める。しまいには、この映画のスタッフが「はたしてこの映画はこの終わり方でいいのだろうか?」という議論を始めるなど、脚本の世界の外にある世界そのものが実は映画の世界であり、その外側には映画を撮っているスタッフがいるというような、なんとも入り組んだ設定になっていくのだ。しかも、そのあたりの設定が理詰めではなく、理屈の通らない世界なので、あまり考えずにただ黙って受け入れるしかないといった性格の映画なのだ。で、どういう終わらせ方をするかというと、「母は歌が好きだった」というルディの発言を受けて、レオノールが歌い、現実世界のキャラクター、脚本世界のキャラクター、さらには映画スタッフが一緒になって踊って終わるのである。なんというか、とっても不思議な感性によって撮られた映画としかいいようがない。

 監督のマルティカ・ラミレス・エスコバル(Martika Ramirez Escobar)は、これが長編映画としては第1作となるが、それまでに短篇映画を何本も撮っている。そのうちの『Pusong bato』という作品を以前に観ているのだけれど、これまた不思議な映画だった。1970年代に青春映画のスターとして人気のあった女優が、過去の自作をビデオで観て過ごす日々を送っているのだけれど、そこに地震とともにひとつの石が転がり込み、その石と一緒に暮らすようになるのだが……という作品。微妙に基本設定が本作とも重なってくる。きっと、この奇妙な感性がこの監督の特性なのだろう。
 主人公のレオノールを演じるシェイラ・フランシスコ(Sheila Francisco)は、本作が初主演作品とのこと。それほど女優としての実績のある方ではないようだ。
 ルディを演じているボン・カブレラ、脚本世界のロンワルドを演じているロッキー・サルンビデス、現実世界で幽霊として登場するロンワルドを演じているアンソニー・ファルコンなどは、それなりに実績のある俳優で、僕が観たことのある映画にもちょくちょく出ているようだ。

【映画】DIAMONDS IN THE SAND

 東京フィルメックスで上映された日本・フィリピン・マレーシアの共同製作映画『DIAMONDS IN THE SAND』を観てきた。

 離婚して東京で1人暮らしをしているヨージ(リリー・フランキー)。施設に入っていた年老いた母親(吉行和子)も亡くなり、孤独に過ごす時間だけが増えていく。そんなとき、団地の上階で孤独死をした遺体を発見したことから、自身にも孤独死する可能性があるということを考え始める。そこで彼の脳裡によぎるのは、母の面倒をみてくれていたフィリピン人スタッフのミネルバ(マリア・イザベル・ロペス/Maria Isabel Lopez)たちの「フィリピンではたったひとりで食事をすることなんてない」という言葉だった。
 衝動的にフィリピンに渡り、ミネルバを訪ねるヨージ。そこで、ミネルバの娘のエンジェル(チャーリー・ディソン/Charlie Dizon)、隣人のトト(ソリマン・クルーズ/Soliman Cruz)らに迎え入れられ、ともに食べ、ともに飲む時間を過ごすようになるのだが……。

 孤独死という現象は、フィリピンにはないらしい。フィリピンでは逆に、ひとりになりたいと思ってもひとりになることがそもそも難しい。国民性もあるだろうし、住宅事情もあるだろうし、経済事情もあるだろう。監督兼脚本家のジャヌス・ヴィクトリアは、日本に来て孤独死について知り、ショックを受けて、孤独死についてリサーチを始める。そして、東京のアパートでの孤独死に関するドキュメンタリー短編『沈黙との出会い』の制作を経て、2013年のタレンツ・トーキョーの受賞企画であり、長編映画としての監督デビュー作となる本作を撮る。
 映画の前半は日本が舞台で、ずっと日本語でのドラマが展開される。日本人スタッフも多く参加しているので、フィリピン映画によくある奇妙な日本描写はほとんどない。地方ロケをした映画によくある素人役者によるぎこちない演技、セリフまわしもない。それどころか、ほんのちょい役で渡辺いっけい古舘寛治が出演していたりもする。
 後半はマニラが舞台となり、タガログ語メインのドラマが展開されるが、ミネルバは日本で働いていて日本人との間に娘がいるという設定だし、その娘のエンジェルも日本語を勉強しているという設定なので、ヨージとの会話では日本語が使われている。マリア・イザベル・ロペスはかつて日本人男性と結婚していた過去があるので、たどたどしいながらももともと日本語が使える人なのだけれど、チャーリー・ディソンがけっこう上手に日本語のセリフを喋っていたのに感心する。
 ちなみに、エンジェルが何かのコンテストで受賞したお祝いの宴会の席に「ANGEL YOKOHAMA」とフルネームが書かれているのを観て思わず笑ってしまう。実は、マリア・イザベル・ロペスがかつて結婚していた日本人男性の苗字が「YOKOHAMA」なのだ。それを知っていて、思わず笑ってしまう日本人もそうはいないと思うけれど。
 闘鶏で借金を作ってしまったトトがヨージに金を無心する場面で、いささか考えさせられてしまった。ヨージはギャンブルに金をつぎ込んで借金を繰り返すトトに対し、「ちゃんと働けよ、酒飲んでカラオケ歌ってギャンブルに金をつぎ込んでばかりで、まともに働いてないじゃないか。それで借金して金を貸してくれと言われたって、貸せるわけないじゃないか」と拒否をする。それに対してミネルバは「あなたが言っていることは確かに正しいことばかりだけれど、あなたの言葉には思いやりというものがない」ときつい言葉を投げつける。
 じゃあ、同じ場面で自分は金を貸せるだろうか。そう考えたとき、たぶん貸さないだろうと思った。つい数日前に出会ったばかりの相手である。貸せるわけがない。しかし、フィリピン人はこの場面で貸してしまったりするのだ。貸すのが正しいのか、貸さないのが正しいのか、正解はないだろうけれど、つい考え込んでしまった。
 孤独死がテーマであり、上映前にリリー・フランキーが「重い映画ですよ」とひとこと言っていたのだけれど、いざ観てみるとそれほど重い映画には仕上がっていなかった。孤独死がテーマというよりも、孤独死の恐怖からフィリピンに救いを求めたひとりの男性が、人との絆を築いていくという内容だからだ。
 フィリピンでは人と会った時に「もう食事は済んだ?」と声をかける。「まだなら、一緒に食事をしようよ」という文化なのだ。たったひとりで食事をすることはないという、それだけのことが救いになるという、そういう映画であったのだと思う。

 なお、上映前に主演のリリー・フランキー、監督のジャヌス・ヴィクトリア、プロデューサーのローナ・ティー、曽我満寿美が登壇しての挨拶があり、上映終了後にリリー・フランキー、ジャヌス・ヴィクトリアが登壇してのQ&Aセッションがあった。
 その舞台挨拶、Q&Aセッションがやたらと面白かったのだけれど、その再録はいささか手に余るので、申し訳ないのだけれどパス。ただ、リリー・フランキーがやたらとたくさん喋っていたのがめちゃくちゃ楽しかったということだけは書いておきたい。延々と喋って通訳が訳そうとすると「いまのぜんぶ訳すことないからね。監督には「いい映画でした」と言っていたと、それだけ訳して」と言ったり、司会者が「もっと質問を受けたかったのですが、残念ながらお時間となってしまいました」と言っているのに、「でも、もうひとり手を上げていた人がいたから、どういう質問を聞きたかったのかだけ聞かせて」と客席にふって、でてきた質問に「いい質問だよね」と言いながら延々と答えたり、あげくの果てに「このあと、別の映画の上映が入ってるの?」と聞いてみたり。あれは、もし次の上映がなければまだまだ喋り続けていたんだろうな。
 リリー・フランキーという人、とてもサービス精神がゆたかで楽しい人だと思ったけれど、監督としてコントロールしなければならないとなると、もしかするととっても大変な人なのかもしれない。

【映画】Un/Happy for You

 フィリピン映画『Un/Happy for You』を観る。

 2018年、大学の激辛料理に挑むチリ・キング&クイーンコンテストで出会ったジュアンチョ(ジョシュア・ガルシア/Joshua Garcia)とザイ(ジュリア・バレット/Julia Barretto)。互いに愛しあい、ともに暮らすようになるのだが、ザイは自分の夢を叶えるためにニューヨークに旅立つことになる。ザイを諦めきれないジュアンチョは、ビコール料理のレストランを開くという自分の夢をなげうってザイを追いかけるのだが、「もういいかげんに終わりにして」という言葉を最後にザイとは連絡もつかなくなってしまう。
 それから6年がたち、ニューヨークでライターとなったザイがビコール料理の本を執筆するための取材でフィリピンに戻ってくる。当然そこでビコール料理のレストラン「カサ・ロサ」を経営するジュアンチョと再会することとなるのだが、自分を捨てたザイのことをずっと怨み続けていたジュアンチョは、ザイの取材をことごとく邪魔するのだった。

 『Vince & Kath & James』『Love You to the Stars and Back』などで人気のあったラブチーム、ジョシュア・ガルシアとジュリア・バレットが『Block Z』以来4年ぶりに共演したのが本作『Un/Happy for You』である。フィリピンで公開された際に、そこそこ客が入って話題になっている雰囲気だったので期待していたのだけれど、どうも完全な期待ハズレであったようだ。
 なにしろ、ジョシュア・ガルシア演じるジュアンチョのキャラクターがクズすぎて、どうしても共感できない。ザイがジュアンチョを置き去りにしたのは、大人になりきれないザイの面倒をみるのに疲れ果てたからであり、さらには自分のために夢を投げ出さないでほしかったからなのだけれど、自分だけが被害者であるという意識を6年間も持ち続け、ようやく再会しても嫌がらせを繰り返す。もちろん、そのあとでふたたびいい感じのふたりになるのだけれど、ザイはニューヨークで出会った男性と結婚している既婚者であったのだ。それでもザイを諦めきれずにつきまとい、またしても下劣ないやがらせをおこなってしまう。それを謝罪して、とうとうひと夜を共にしてしまうのだけれど、そこに現れたザイの夫に浮気をばらしてザイの結婚生活を破壊し、さらにはレストランの未来がかかった大事な夜に店を放り出してザイを追いかけ、それまで共に苦労してきた店の仲間にも致命的な迷惑をかけてしまう。
 にもかかわらず、「ごめんなさい、これからは生まれ変わって迷惑をかけないようにします」と謝れば、それで許されてしまうという脚本のゆるさ!
 結局、ザイはニューヨークに帰っていくのだけれど、ジュアンチョのせいでビコール料理の取材はできていないし、取材の依頼主を怒らせてもいるので、おそらくニューヨークで築いてきたキャリアはすべて失っているはず。にもかかわらず、雰囲気たっぷりの別れの場面を演出されても、なんだかなあという感想しか持ちようがない。
 フィリピンのユーザーレビューを見ても「時間の無駄」「観るのが苦痛」「浅はかな謝罪と後悔すべき過ちの間を行ったり来たりするだけのストーリー」と、なかなか手厳しい。
 監督は『A Very Good Girl』『An Inconvenient Love』のピーターセン・ヴァルガス(Petersen Vargas)。『A Very Good Girl』はなかなか見ごたえのある映画だったし、『An Inconvenient Love』だってなかなか楽しいラブコメディだったのになあ。
 ジョシュア・ガルシアは、ココ・マルティン、ジョン・ロイド・クルーズ系列の目がくりっとした童顔で、フィリピンの女性はどうもこの手の顔が好きらしい。しかも、この手の顔つきで、母性本能をくすぐるようなちょっと情けないキャラクターだと、あっという間にメロメロになってしまうのがフィリピンの女性というものなのだろう。ジョン・ロイド・クルーズ主演の『ONE MORE CHANCE』『A Second Chance』がかつて空前の大ヒットを飛ばしたのは、そういう理由であると考えないことにはどうにも納得できない。本作も、ジョシュア・ガルシアを大人になりきれない情けないキャラに設定して、「ごめんなさ~い」と謝ってボロボロ泣かせたりするのだけれど、きっとその路線を狙っているのだろう。
 一方のジュリア・バレットは、学生を主人公にしたラブコメディあたりから比べると、ぐっと大人っぽくなっている。以前の方が可愛かったんだけどなあ。でも、過去の回想シーンなどで学生時代を演じているのを見ると、相変わらず可愛いので、キャラ設定の問題なんだろうな。まだまだ可愛い役をやらせたいと思ってしまった。
 他には、ジュアンチョの父をノニー・ブエンカミノが演じているのだけれど、ものすごい老け役だったのでぜんぜんわからなかった。『Miss Granny』あたりの父親役がものすごくよかった印象が強いのだけれど。また、レストランのスタッフでケチャップ・ユーセビオもなかなかいい雰囲気を出していて、作品を引き締めている。あと、テレビシリーズ3本に出演したあと、本作でちょい役ではあるのだけれど映画デビューをはたしたビアンカ・デ・ヴェラ(Bianca De Vera)がちょっと印象的な顔つきで、これから人気が出てくるのではと思ってしまった。脚本はひどかったけれど、役者はよかったのではないかな。