【読書】岩井圭也『完全なる白銀』小学館

 岩井圭也『完全なる白銀』小学館を読了。
 かつてマッキンリーと呼ばれていた北米最高峰の山、デナリ。アラスカのサウニケという地球温暖化によって海に沈みつつある島で生まれ育ったリタは、女性による初の冬期単独登頂に挑戦するが、下山の途中で消息不明となってしまう。だが、登頂を証明するものがないため、その成功を疑問視する声もあがっていた。
 リタの幼なじみのシーラと、彼女らと親交のあったカメラマンの藤谷緑里(みどり)は、彼女の成功を証明するため、いや、証明できずとも自分たちに納得させるために、冬期のデナリに挑戦するのだった。
 帯の背には「山岳小説の新たな傑作!」とあり、それで手に取ったところさらに「山岳小説の新しい傑作がここに出現した。読者よ、岩井圭也に瞠目せよ!-夢枕獏」「すごいな岩井圭也。読み始めたらやめられず、緊張感とともに一気読みする傑作とくるから脱帽だ-北上次郎」とあったので、そりゃあ読まないという選択肢はない。
 リタの登山シーンはない。シーラと緑里の挑戦が始まってからも、頻繁に回想シーンがはさまれ、なかなか壮絶なる雪山との闘いの場面とはならない。が、どうしてリタがデナリへの冬期単独登頂に挑むことになったのか、シーラと緑里がリタの成功にこだわるのか、あるいはどうして緑里がカメラマンとして成長してきたのかといった背景がしっかりと描かれているからこそ、二人の登山シーンが生きてくる。
 自分はカメラマンという職業についてはほとんど知識を持っていなかったのだけれど、いわゆる商業カメラマンと作家としてのカメラマンとの違いがこうまで違うとは思っていなかった。仕事としての写真を撮り続けていながら、作家としての撮影を続けるということは実に大変なものらしい。主人公の緑里は、フリーの商業カメラマンとしては食べていけるものの、作家となることを諦めようとしていた。だが、デナリに挑戦するリタによって、生き方を変えられてしまうのである。山岳小説とは別に、そのあたりの描写も実に興味深く、ぐいぐいと読まされる。
 欲を言えば、冬山の描写はもっともっと凄絶なものであってほしかった。緑里とシーラに立ちふさがる困難はもっともっと壮絶なものであってほしかった。そうは思うものの、あまりそこにウェイトを置きすぎてしまうと、小説のテーマそのものを見失ってしまうのかもしれない。このあたりが、ちょうどいいバランスなのだろうか。
 本書で初めて名前を知った著者なのだけれど、いずれ機会があれば別の作品も読んでみよう。著者のホームページを見ると、剣道を題材とした『夏の陰』という作品が僕の好みかも知れない。