【映画】湖の紛れもなき事実

 東京国際映画祭にて、ラヴ・ディアス監督の最新作、『湖の紛れもなき事実(Essential Truths of the Lake)』を観てきた。

 15年前、絶滅の危機に瀕しているフィリピン・イーグルの保護活動を推進していたエスメラルダ(シャイナ・マグダヤオ/Shaina Magdayao)という女性が行方不明となる。かつてその事件を担当していたヘルメス警部補(ジョン・ロイド・クルーズ/John Lloyd Cruz)は、未解決となったままのその事件を忘れることができず、繰り返し捜査をおこなっていた。ふたたび再捜査の許可を得たヘルメスは、事件の関係者の話を聞いて回るのだが……。

 フィリピン映画界の怪物的映画作家と呼ばれるラヴ・ディアス監督(Lav Diaz)の最新作である。ラヴ・ディアス監督というと、作品の上映時間がやたらと長いことで知られているのだけれど、今度の作品は215分。こちらも監督の作品に関しては完全に感覚がおかしくなっているので「215分。短いじゃん」とか思ってしまうのだけれど、決して短くはないよね。
 試しに、監督の過去の作品で上映時間の長い作品をピックアップしてみた(資料によってランタイムが微妙に違うので、IMDbのデータを元に作成)。
『Melancholia』750分
『Ebolusyon ng isang pamilyang Pilipino』540分
『Heremias: Unang aklat - Ang alamat ng prinsesang bayawak』540分
『Kagadanan sa banwaan ning mga engkanto』540分
『痛ましき謎への子守唄(Hele sa hiwagang hapis)』485分
『Isang salaysay ng karahasang Pilipino』409分
『Florentina Hubaldo, CTE』360分
『Siglo ng pagluluwal』360分
『昔のはじまり(Mula sa kung ano ang noon)』338分
『Batang West Side』315分
『北(ノルテ)-歴史の終わり(Norte, hangganan ng kasaysayan)』250分
『Historya ni Ha』250分
『悪魔の季節(Ang panahon ng halimaw)』234分
『立ち去った女(Ang babaeng humayo)』226
『波が去るとき(Kapag wala nang mga alon)』187分
 215分が短いと思える理由がよく分かってもらえるのではないだろうか。3時間を超えない作品なんて、ラヴ・ディアス監督の世界では短篇みたいなものなのである。

 ラヴ・ディアス監督の作品の特徴はというと、長いという他に、モノクロである、テンポがめちゃくちゃ遅い、はっきりしたストーリーがないといったことがあげられよう。あくまでも私見ですけど。
 そこで今回の作品だけれど、相変わらずのモノクロ映画である。テンポは、いつもの作品に比べれば速いような気がする。他の監督の作品に比べれば遅いのだけれど、監督の以前の作品に比べれば速いような気がする。気がするだけなのかもしれないけれど。
 そしてストーリーに関して言えば、15年前にあった謎の失踪事件の謎を追ってひとりの刑事が捜査を続けるというストーリーがあり、ラヴ・ディアス監督の作品としては、はっきりしたストーリーのある作品だったと言えよう。とはいえ、途中でどんどん意味の分からない映像が増えていって、理解しようという努力を放棄せざるをえない展開となっていくのだけれど。
 事件の捜査のために現場であるタール湖の周辺を捜査してまわっていたはずなのに、いつの間にかフィリピン・イーグルのコスプレ衣装に着替えてあちこちをうろつきまわるようになり、挙げ句の果てには浮浪者となって木の下のベンチに寝転がるだけになってしまうヘルメス。何を考えているのかまったくわからない。そこに上司の警視正アゴット・イシドロ/Agot Isidro)が現れて、「捜査を中止します」と言い渡されてむりやり連れ帰されるのだけれど、次のシーンでは全裸で四つん這いになったヘルメスが、幼女に犬のようにひきまわされる映像となり、これがなにを意味しているのか、自分にはまったくわからず。よくまあ、フィリピントップクラスの大スターが、全裸で四つん這いになって這い回るシーンを撮らせるよなとか、そんな感想しか思いつかなかった。だって、フィリピンのトップスターなのに、キンタマがしっかり写っているんだよ。かつては、恋愛映画で超特大ヒットを連発していた俳優なのだよ。ま、それを言ったら、エスメラルダ役のシャイナ・マグダヤオにだって、アイドルだった過去からは信じられない全裸のけっこうやばいシーンもあるのだけれど。
 捜査が中止となってヘルメスが現場を去ったあと、タール火山が噴火して周辺の町は火山灰に埋まってしまう。これは、実際に2020年に発生した噴火を扱っているのだが、その荒廃した町に住みついたヘルメスがなにごともなかったかのように捜査を続けるのである。えっ、捜査は中止となって、上司がむりやり連れ帰ったはずなのに。なんで、捜査を続けているの? いや、ディアス監督の作品なのだから、そのあたりの整合性にこだわって観てはいけないのだ。そういうこととして受け入れるしかないのだ。考えるな、感じるんだ。
 はたして失踪事件の謎はどのように解かれるのであろうかと思っていると、唐突に衝撃のラストシーンに襲いかかられて、呆然とさせられてしまう。いやあ、度胆を抜かれる終わり方でした。
 まあ、どう考えても自分には向いていない作品である。映画を観ている間、自分が何を考えていたかというと「そろそろ1時間はたったよな。いやいや2時間はたったよね」「さすがにもう3時間はすぎたかなあ。まだ2時間ぐらいなのかなあ」と、いつになれば終わってくれるのかということばかり。

 本作の製作を担当しているエピックメディアという会社のホームページに、ラヴ・ディアス監督本人によるストーリー紹介が掲載されている。
「何が人を真実の探求へと駆り立てるのか?」
 間違いなくフィリピンでもっとも偉大な捜査官であるヘルメス・パパウラン中尉の場合、そう問われると、意気消沈しながら、「ただ自分に苦痛を与え続けたいだけなのかもしれない」と答えた。このような曖昧な発言で、彼はお馴染みの質問に対する最大の答えを提示したのかもしれない。真実を探求することは、痛みを伴うことなのだ。
 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領による血なまぐさい殺人と大胆な嘘に直面しながらも、パパウラン警部補は火山灰が降り積もった地形と入り組んだ湖の周辺で、15年前の事件の解決を見出そうと奮闘を続ける。そして彼の生存は、痛みを永続させることにあるのだった。
 DeepLによる翻訳にちょっと手を加えただけなので、いささか意味不明な直訳口調なのはお許し願いたい。
 ちなみにこのエピックメディアという会社、『モーテル・アカシア』『墓場にて唄う』のブラッドリー・リュウ監督、『雲のかなた』のペペ・ジョグノ監督、『女と銃』のラエ・レッド監督、『イン・マイ・マザーズ・スキン』のケネス・ダガタン監督などが所属していて、ラヴ・ディアス監督の何本かの作品の他に、アントワネット・ハダオネ監督の『ファン・ガール』、吉田恵輔監督の『愛しのアイリーン』などのプロデュースもしているという、なかなかディープな会社なのである。

 そして、この作品についてさらに調べて行くと、驚愕の事実が判明してしまう。なんとこの作品は、『波の去るとき(Kapag Wala Nang Mga Alon)』の前日譚で、ヘルメス・パパウラン警部補を主人公とする「パパウラン・サーガ」3部作の第2作だというのだ。あわてて自分の書いた『波の去るとき』の感想をチェックすると、「フィリピンでも最高の捜査官の1人とされているヘルメス(ジョン・ロイド・クルーズ/John Lloyd Cruz)は、ドゥテルテ大統領が強引に押し進める麻薬取り締まりと、とめどない警察組織の腐敗によって精神がむしばまれていき、抑えきれぬ衝動から妻に暴力をふるい、休職に追い込まれていた。」と書いてある。同じ主人公だった!
 ちなみに、今回の『湖の紛れもなき事実』の冒頭で、「私は売人です」と書かれた紙を持たされた死体が発見され、その捜査を担当したヘルメスが精神をむしばまれていくという描写があった。ドゥテルテ大統領が強引に押し進めた麻薬取り締まりの現場では、警察官が自分に都合の悪い人間を射殺しても、「私は売人です」と書かれた紙を置いておきさえすれば麻薬取り締まりの一貫として通用してしまうという状況が実際にあったのだ。正義感の強いヘルメスはそのストレスによって妻に暴力をふるい、全身を皮膚病に犯されていくというのが『波の去るとき』の冒頭だった。おおっ、本当に話がつながっていく!

 こうなると、来年あたりは「パパウラン・サーガ」の第3部を東京国際映画祭で上映することになるのだろうか? 自分には向いていないと言いながら、やっぱりチケットを買って観に来てしまうのだろうか?