
下村明『黒帯三国志』東京文藝社を読了。
時は昭和12年。主人公は九州の若き柔道家、小関昌彦。正風館の師範、天路正純のもとで修業を続けた彼は、九州でめきめきと名を上げ、次代の木村、豊後の軽爆(軽爆撃機)、荒法師、あるいは黒帯公子と呼ばれていた。親のいない昌彦の面倒をみてきた貸席「銀猫」の経営者、貢兵衛は、昌彦を娘の紀久子の許嫁とし、後継ぎと考えていたが、柔道に生きたい昌彦は家を出て正風館に住み込んで修業を続ける。その正風館には天路の妹の陽子がいた。お互いに思いを寄せる昌彦と陽子。だが、昌彦は殺人ボクサーの異名を持つ鶴城拳闘クラブの伊庭八郎と決闘することになり、相手に怪我をさせたことから九州を離れるのだった。ここまでが「第一部 出郷篇」。
九州を離れた昌彦は、流れ流れて北海道のタコ部屋に流れ着き、荒ぶる男たちが支配する地獄で肉体労働に従事していた。役に立たなくなった者は平然と殺されて人柱として埋められてしまうような飯場であったが、「土方でも鉱夫でもいい。肉体の苦痛に堪えて、力の限界を知ることだ。柔道観が、必ず変る。」という師匠の言葉を胸に、じっと堪え続けていた。だが、殺人犯を追ってきた刑事、全九州にその名を轟かせている警察柔道の寵児、形原五段が秘かに潜入してきたことで、ダイナマイトの爆風が吹き荒れる激しい闘争が勃発するのだった。これが「第二部 血風篇」。ここでは、帳場にいたお葉というあでっぽい女性が昌彦に近づき、早くも3人目の女性が登場してくることになる。なんと、ここまででたったの94ページにしかならないというのに。
北海道を離れた昌彦は、怪我を癒やすために京都の友人のもとにころげこむ。だがそこに、師匠の天路から陽子の縁談がまとまりかけているとの手紙が届く。貢兵衛から昌彦を後継ぎにするつもりだと告げられた天路は、妹に昌彦を諦めるようにと言い聞かせたのだった。昌彦は、彼を追って京都にやってきたお葉の勤める酒場に通い、酒に溺れるようになる。自暴自棄に陥った昌彦は、お葉を狙っていたゴロつきたちと諍いをおこし、悲劇を引き起こしてしまう。さらには、九州の陽子から「兄が倒れた」との電報が届く。昌彦が以前トラブルを起こした伊庭の空手使いの弟が、昌彦のかわりに天路を襲ったのだ。これが「第三部 地獄篇」。なかなか波瀾万丈の展開である。
九州に戻った昌彦は、空手家、伊庭俊介によって失明した天路のもとで、道場の面倒をみていた。そもそも天路が失明した原因を作ったのは自分であり、なおかつ自分が酔っておこした無用ないさかいでお葉が命を落とした罪の意識もあり、自然と陽子との間に距離を置くようになっていた。また、積極的に言い寄ってくる紀久子に対しても、いまは結婚する意思はないと告げる昌彦。そこに、刑務所に入っていた伊庭俊介が、胸の病で保釈出所になり、柔道は空手の敵ではないなど、天路を貶める言動をとっているとの知らせが入ってくる。尊敬する天路を悪く言う伊庭のもとに赴く昌彦。必然、死闘が繰り広げられるのだが、そこに現れた伊庭の妻と幼い娘を見て、昌彦は索漠たる孤独感に襲われるのだった。これが「第四部 青春篇」。あまり「青春篇」という展開ではないと思うのだけれど。
「暴力はいかん」、その師匠の教えに背いてまた闘ってしまった昌彦を、天路は破門にして貢兵衛のもとに追い返す。いつまでも道場を昌彦に任せたままにするわけにもいかず、道場を閉鎖する決意のもとでの行動だった。天路に背くこともできず、道着を封印する昌彦。さらに、死闘を繰り広げた伊庭が結核で亡くなったことを知り、闘うことの空しさに陥る昌彦だった。そんな昌彦の様子を見た紀久子は、昌彦にむかって婚約解消を申し出て、天路に「あの人は、矢っ張り、柔道をやる人なんですわ」と、昌彦の復帰を願うのだった。陽子の説得もあって破門をとりけす天路。ずっと昌彦の柔道に反対していた貢兵衛も、娘の紀久子の説得もあって昌彦が正風館に帰ることを許す。ただし、九州選手権に優勝しなかったら、2度と柔道はさせないという条件をつけるのだった。そしてその九州選手権には、北海道で出会った形原五段が優勝候補として昌彦の前に立ちふさがるはずだった。だが、大会会場に向かう昌彦の前に立ちふさがったのは、弟を亡くしたボクサー、伊庭八郎であった! とうとうこれが最終章の「第五部 完結篇」である。
なかなか充実の柔道小説だ。故郷九州をかわぎりに、北海道、京都と舞台を変えながら、ボクサー、ヤクザ、空手家と闘っていくのだが、単に舞台を変えた闘いを描いていくだけではなく、主人公の苦悩、彼をとりまく様々な人たちの思いをもしっかりと描いている。脇に控えたキャラクターがしっかり描かれているので、実に読み応えのある小説に仕上がっている。
そして、ぐるっとまわって再び故郷に戻り、クライマックスは九州選手権大会で、これがまた盛り上がる。著者の略歴などはよくわからないのだけれど、柔道で戦う場面の描写が非常にリアルで緊迫感があって、おそらくは柔道の経験者なのではないだろうか。
そして、本書にはもう一篇「健児の歌」という柔道小説が収録されている。こちらは九州の大学柔道を題材にした作品で、同じ柔道部に所属する二人の若者が、飲み屋の女性を相手に恋の鞘当てを演じ、ヤクザと結びついた柔道家とあらそい、北九州大学対抗柔道大会に挑むというもの。短いながらも、やはりそれぞれのキャラクターが活き活きと描かれていて、一気に読ませる。
著者、下村明は1922年(大正11年)生まれの大衆小説作家で、昭和30年から40年にかけて多くの柔道小説、アクション小説を書いている。それでいて、詳しい経歴はほとんど残されていないとのこと。
いま手に入る本はというと、戎光祥出版から出されたミステリ珍本全集『風花島殺人事件』のみ。今回読んだような柔道小説ではなく本格推理小説とのことだ(とはいえ、ミステリ珍本全集なので、内容は推して知るべしかもしれない)。
自分が過去に読んだことがあるのは『飛龍の嵐』という柔道小説なのだけれど、これが「ここからが面白いのに」という場面で唐突に終わっている奇妙な小説だった。それに比べれば、本作は骨格のしっかりした大衆小説となっている。
なお、国会図書館にある本はというと、上記の3冊の他に以下のようなタイトルが並んでいる。
『突風地帯』『霧の夜の男』『現ナマを出せ』『青春無頼』『鮮血の門』『花の決闘』『顔役地帯』『その男指名手配』『夜の顔役』『悪魔の門』『殺戮者』『砂の中の顔』『死者の夜』『木乃伊の仮面』『花の遠景』。
なんとも魅力的なタイトルが並んでいるが、どちらかというと柔道小説よりもスリラー小説、犯罪小説が多そうな感じだ。ありがたいことに、その多くは国会図書館デジタルコレクションで読むことは可能だ。
また、高くて手が出ないのだけれど、メルカリや日本の古本屋では『黒帯水滸伝』という本も売られている。日本の古本屋にある『木乃伊の仮面』には74,000円の値段がついていて、とてもじゃないけれど手が出ない。