【読書】ウイリアム・ホープ・ホジスン『【完訳】ナイトランド』漂着文庫

▼ウイリアムホープ・ホジスン『【完訳】ナイトランド(上)』漂着文庫を読了。
 太陽が死に絶え、異形のクリーチャーが地上を跳梁跋扈する超未来。人類は巨大なピラミッドの中でだけ生存を許されていた。
 《怪物監視官》を務める17歳の若者である私は、遙か彼方からの救いを求める女性の声を聴き取る。それは、遙かなる過去、《現在》の地球で私が心から愛したミルダスが転生した女性ナーニの発した声であった。
 私は愛する女性を救うために、危険に満ち満ちた《ナイトランド》へと乗り出していくのだった。
 というストーリーなのだが、実はその物語は、《現在》の地球に生きる主人公が、愛するミルダスを失ったあとで幻視するようになった異世界での体験を物語っているものなのである。なんとも不思議な二重構造を持った物語なのだ。
 物語は、《ナイトランド》へ乗り出した私の苦難の旅をひたすら描いていく。たったひとりの旅であるので、会話とかはまったくない。異形のクリーチャーを相手の派手なバトルもほとんどない。ほとんどが、怪物に見つからないように身を隠しながら、愛する女性を救うために前へ前へと進む描写で、正直、かなり地味な小説だ。まったくの異世界と変わり果てた地球の描写、そこに棲息する狂暴なクリーチャーたちの描写は、地味と呼ぶにはなかなかスケールが大きいのだけれど、旅路の描写そのものは抑制された描写が続き、単調と呼んでもいいだろう。だが、それにもかかわらず、読む手は止まらない。自分の読書の傾向からすると、いつ放り出しても不思議はない小説だと思うのだけれど、どういうわけか読むのをやめられないのだ。
 さて、まだ主人公の地獄巡りの旅は半分だ。ここからの下巻、おそらくは上巻と同じペースで続いていくのだろう。楽しみであるような、不安であるような、なんとも不思議な気分だ。


ウィリアム・ホープ・ホジスン『【完訳】ナイトランド〈下〉』漂着文庫を読了。
 最初から「この小説を読み終えるには、ずいぶんと時間がかかるだろうな」と覚悟して読みだしたのだけれど、上巻は意外なほどすんなり読み終えて、「これなら下巻もいっきに読み終えることができそう」とか思っていたのだけれど、やはり延々と時間がかかってしまった。
 太陽が死に絶え、異形のクリーチャーが地上を跳梁跋扈する超未来の地球。17世紀の地球で心から愛した女性が転生した少女を救うために危険に満ちた《ナイトランド》に乗り出した「私」が、艱難辛苦の果てに少女に遭遇するまでを描いたのが上巻で、下巻ではその少女とともに人類の生き残りが暮らす超巨大なピラミッドまでの帰還の旅が描かれる。が、その帰りに辿る道というのが、行きに通った道と同じなので、その描写に新鮮な驚きはない。上巻を読んだときには脅威に満ち満ちた世界の描写に惹きつけられたのだけれど、下巻に入るとその異様な世界の描写が希薄になってしまう。しかも、下巻で主に描かれるのは、その異様な世界の描写ではなく、愛する女性とのラブラブなやりとりで、それが延々と繰り返されたりするのある。さすがにこれが延々と続くのは辛い。さすがに飽き飽きしてきてしまう。さらには「この女性はいったい何を考えているんだ!?」というような微妙な展開があったりもして、小説世界にのめりこめなくなってしまう。
 さいわい、終盤に来て物語が一気にスピードアップしてくれて救われるのだけれど、そこに至るまでが実に長い。
 解説を読むと、やはり誰もがその長さに言及していて、ラブクラフトの「嫌になるほど冗長で繰り返しが多く、わざとらしいめそめそした感傷性も作品を大きく損ねている」という評価に大いにうなずいてしまう。しかし、そうした致命的な欠点を持ちながらも、これがとんでもない作品であるということに変わりはない。クラーク・アシュトン・スミスが「この作品にいくら欠点があろうとも、うんざりするほどの冗長さを持っていようとも、滅びゆく宇宙の究極の英雄譚であり、終わりのない夜と想像もつかないような闇の産物によって包囲された、終末の世界の叙事詩であるという印象を読者に与えるだろう。」と書いているように、この『ナイトランド』は唯一無二の小説なのだ。しんどい思いをしたけれど、読んでよかったという印象に変わりはない。
 本書には長大な『ナイトランド』に続いて「X氏の夢」という作品が収録されている。これはアメリカにおける著作権を確保するためにホジスン自ら『ナイトランド』を要約したもので、基本的な内容は『ナイトランド』と変わらない。つまり、ようやく『ナイトランド』を読み終えたと思ったら、短くなっているとはいえ、またしても同じ内容の小説を読むことになってしまう。あくまでも資料的な価値として収録されているものと割り切ってつきあうべき作品だろう。
 さらに「ブリー・ケラー船長の改心」「我が家はすべての民の祈りの家と呼ばれるべきである」「オニオン・ボートの船長」「船橋にて」という4本の短編が収録されている。これがけっこうよくって、とりわけ「ブリー・ケラー船長の改心」における格闘シーンの描写の迫真性に驚かされてしまう。とてもじゃないけれど、『ナイトランド』と同じ作家の書いた小説とは思えない派手な作品なのだ。ホジスンて、こういう小説も書いていたんだ。
 いずれにしても、仕事ではなくおそらくは「この小説の完訳版を読んでもらいたい。自分が訳さないで誰が訳す」という使命感から、費用持ち出しで本書を刊行した訳者の田中重行氏のご尽力には頭が下がる。3年以上かかったとのことだけれど、作業時間を捻出しながらコツコツと訳し続けるのって、さぞかし大変だったろうと思う。
 そして最後に、「解説」に姫川みかげさんの名前を見て、切なくなってしまった。末期癌を患いながらも、本を愛した書き込みをずっとTwitterに続けていた方なのだ。病魔と闘いながらも「本が癒し」とおっしゃっていた方なのだ。ネット上でのやりとりしかしたことはないのだけれど、自分にはとても彼のように本を愛することはできないだろうなと思う。