樋口明雄『のんではいけない』山と渓谷社を読了。サブタイトルは「酒浸り作家はどうして断酒できたのか?」。酒浸りの毎日を過ごしてきた著者が、その酒浸りの日々のエピソードの数々と、いかにして断酒をしたのか、そして断酒したあとの肉体の変化、精神の変化を描いた1冊。
基本的には酒飲みではない自分としては、断酒そのものにはまったく興味がない。日本冒険小説協会という、とんでもない酒飲みたちが集う団体に所属していたために、それなりに酒を飲んできてはいるし、酒の上での失敗も経験してきてはいるが、酒を飲まずにはいられないというほど酒に依存したことはない。ところが著者は、連日連日、壮絶な量のアルコールを摂取してきている。とりわけ阿佐ヶ谷時代の酒にまつわるエピソードは半端なく、その日々が第一章「都会で呑む」でたっぷりと描かれている。そして、お祭りのような阿佐ヶ谷の日々に別れを告げて、著者はあてのないバックパッカーとしての旅に出かける。が、その旅先でもひたすら飲み続ける。山の中にテントを張り、そこで飲み続けて、酒が切れると町に降りて酒を買い足し、またテントに戻って飲み続ける。その旅ののちに、山梨県に移住するのだけれど、そこでも飲み続ける。阿佐ヶ谷では店飲みメインであったが、田舎暮らしになると家飲みが中心となる。その日々が第二章「山で呑む」で描かれる。
第三章「酒を断つ!」でようやく断酒の体験談となるのだけれど、それが206ページある本の124ページから。つまり、本書の半分以上が酒飲みだった日々の描写に費やされているのである。そして、著者の本意ではなかろうが、この第一章と第二章とが抜群に面白い。酒に飲まれている日々のエピソードが面白すぎるのだ。断酒を勧める本でありながら、酒飲みの日々のパートの方が面白いというのは、困ったものだと思うのだけれど。とりわけ1ヶ月近くバックパッカーとして旅をしたときのエピソードは実に魅力的で、この日々を描くだけで1本の長編小説が書けるのではないかと思ってしまった。
しかし、本書を読むと、過去の名作のあれこれが、アルコールを飲んだ状態で書かれたのだということにびっくりしてしまった。酒を飲んだ状態だと、文章を書くどころか本を読むことすらできない自分にしてみれば、驚異以外のなにものでもない。酒に強い人というのはいるものだなあ。しかし、酒に強いということは、それだけ多く飲んでしまうということであって、多く飲めば多く飲むほど心身にマイナスの影響が出てきてしまうというのは本書を読むと明らか。自分は、ほどほどの量で酔っぱらってしまえる体質でよかったのかもしれない。