ゾラン・ジヴコヴィチ『フョードル・ミハイロヴィチの四つの死と一つの復活』盛林堂ミステリアス文庫を読了。
「公園」「食堂車」「精神科医の診察室」「トルコ式浴場」の4つの作品からなる短編集で、2つ目の「食堂車」を読み終えたところで「あれ? これはもしかして」と思いだして、ここで巻末に収録されている高野史緒さんによる解説を途中まで読んで「やはりそういうことであったか」と納得する。「そういうことであったか」というのがどういうことなのかというと、「フョードル・ミハイロヴィチ」というのがドストエフスキーのことなのだということ。ロシアではドストエフスキーを呼ぶ際に、ごく普通に「フョードル・ミハイロヴィチ」と呼ぶのだそうだ。その名前に関する複雑怪奇なロシアンルールについても、この解説では丁寧に説明されているのだけれど、なにぶんにもドストエフスキーに関する知識などほとんどなく、その作品も『カラマーゾフの兄弟』しか読んだことがない自分には、「フョードル・ミハイロヴィチ=ドストエフスキー」などという知識を得る機会などまったくなかったのだ。そもそも、『カラマーゾフの兄弟』だって、高野史緒さんの『カラマーゾフの妹』という作品がなければ、読むことなどなかったのだし。
いずれにしても、「フョードル・ミハイロヴィチ=ドストエフスキー」と知ることで、「食堂車」という作品の面白さがより明白になる。また、高野史緒さんの解説を読むことで、「なるほど、なるほど」と理解が促進され、さらに面白さがくっきりしてくる。
なので、自分のようなドストエフスキーに関する知識が致命的に欠如している人間の場合、各作品を読み終えるごとに巻末の解説を読んで「なるほど、なるほど」と大いにうなずくという読み方を推奨したい。
もっとも、そこまでしっかり作品の背後にあるマニアックなドストエフスキー愛を理解せずとも、面白く読める作品が並んでいる。たとえば、最新の科学技術によって甦った人工作家のドストエフスキーが、かつての自作を現代の売れ線の作品として書き直そうという「精神科医の診察室」など、ドストエフスキーのことをよく知らなくても充分に面白い。『白痴』というタイトルを知的障害者が侮辱に思うだろうから『与太郎』というタイトルに変えようと思っているとか、思わず「落語かよ」と突っ込みたくなってしまう。
ゾラン・ジヴコヴィチの作品を読むのはこれが3冊目なのだけれど、いずれも奇妙な発想に基づく作品のオンパレードで、しかも本好きの琴線に触れる作品が並んでいて、読んでいて本当に楽しい。毎回が「異色作家短篇集」なのだ。そして、このシリーズを出版を本業とする出版社が出しているのではなく、市井の古本屋さんが本業のかたわらで刊行しているというところまで含めて、ゾラン・ジヴコヴィチの面白いところという気がしてきてしまう。次巻も楽しみだ。