高野史緒『ビブリオフォリア・ラプソディ』講談社を読了。
「ハンノキのある島で」「バベルより遠く離れて」「木曜日のルリュール」「詩人になれますように」「本の泉、泉の本」の5編を収録。サブタイトルに「あるいは本と本の間の旅」とあるように、いずれも本にまつわる物語である。帯に「本好きの本好きによる本好きのための本!」とあって、それだったら自分が大喜びして読める小説であるに違いないと確信して手を出した次第。
新刊の寿命を6年と定められた法律の施行された世界を描く「ハンノキのある島で」。新刊書は4~6年で分解してしまうインクで印刷され、6年を過ぎると廃棄されてしまうのだ。
南チナ語という、非常に難解な言語で書かれた小説を翻訳しようとしている主人公のもとに、日本語の言霊で呪いをかけられてしまったという外国人が現れるという「バベルより遠く離れて」。
この冒頭の2作は、非常に静かな雰囲気の中で、本や言語にまつわる奇妙な物語が語られる。読みながらふと、ゾラン・ジヴコヴィチの一連の作品を思い出してしまった。雰囲気が似ているのだろうか。
「木曜日のルリュール」は、文芸評論家の男が若い頃に書いてどこにも発表せずに廃棄したはずの小説が、大手出版社から刊行されて書店に並んでいるという、あり得ない事態を描く。「世にも奇妙な物語」として映像化してみたいような作品だ。
そして、収録作品中、いちばん圧倒的な印象を受けたのが「詩人になれますように」。祖母から「ふたっつだけ」願いを叶えてくれるといわれて渡された勾玉に「詩人になれますように」と願った女性を描いた作品で、ここぞという場面での文章の疾走感が半端ない。グイグイと読まされてしまう。
最後が、どこまでも本棚が続く古本屋で棚をチェックしていく2人の古本マニアを描いた「本の泉、泉の本」。古本好きとしては、こういう古本屋の店内を心ゆくまでさまよってみたいものだと思ってしまう。架空の作家の架空の本があとからあとから出てくる。これがどれもこれも実に魅力的に思えてしまう。しかも、この古本屋の構造が、夢の中に出てくる古本屋のように、実に不可思議な構造となっているのである。
本を読むのが好き、集めるのが好きという自分なので、どの作品も十分以上に楽しんで読むことができた。だが、読むのが好き、集めるのが好きというだけの人間には想像することしかできない「書くことに取り憑かれた人間の怨念」というようなものが作品の底にあるのが感じられた。小説を書く、詩を書くという行為に取り憑かれると、そこには自分のような読むだけの人間には理解しようのない深い沼があるのだろう。そんなことを感じさせる作品集でもあった。