★貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり(上中下)』新潮社


 貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり(上中下)』新潮社を読了。
 内容も知らないのに、貫井さんがこれだけのボリュームの小説を出したからには絶対に自分の好みの小説に違いあるまいと決めつけて買った本。だけど、買ったはいいのだけれど、あまりのボリュームに手を出しかねていた。ところが、腰を痛めて身動きができなくなったので、読むのなら今しかないと手を出して、一気に読んでしまった。上中下あわせて1723ページだ。貫井徳郎という作家の引き出しの多さがこの大長編にギッシリ詰め込まれている。ミステリ作家というイメージが強い著者だが、自分にとっては非ミステリの本作こそが貫井徳郎の本領が発揮されている小説と思えてしまう。きっと、著者としては不本意だろうけれど。
 神生島にイチマツという超絶美貌の若者が帰ってくるところから物語は始まる。本土では維新の嵐が吹き荒れ歴史が動こうとしていたが、そういう動きは島にはまったく伝わっていない。歴史の動きからは取り残された島なのだ。
 イチマツは、島で特別扱いされている一ノ屋という一族の末裔で、この一ノ屋には時として美貌の男が生まれ、その男によって福がもたらされると言い伝えられている。が、このイチマツ、島に戻ってきても何もせずにブラブラしているだけ。ところが、いままで見たことのない美貌のイチマツに惹かれた島の娘たちがイチマツのもとに通うようになり、次から次へと妊娠していく。
 こうして、島にはイチマツの血をひくものが多く生まれ、その子孫達が繰り広げるドラマが明治、大正、昭和、平成と描かれていく。各章ごとに主人公、テーマは入れ替わり、それぞれがひとつの小説としてなりたつ作りとなっているのだけれど、前の章に出てきた人物があとになってチラリと出てきたりもする。そして、それぞれの章が時代をみごとに映し出していて、日本の近代史にもなっているのだ。
 ボリュームはすごいが、とにかく読みやすくて、あっという間に読み終えてしまう。大長編小説を読む快楽が味わえるのに、こんな短い時間で読み終えてしまうのがもったいないような小説だ。