★波の去るとき

 東京国際映画祭にてフィリピン映画『波の去るとき(Kapag Wala Nang Mga Alon)』を観る。


 作品がめちゃくちゃ長いことで有名なラヴ・ディアス監督の最新作で、今回の上映時間は188分。一昨年の東京国際映画祭で上映された『チンパンジー属』の157分に比べれば長いが、それでもラヴ・ディアス監督の作品としては188分というのはかなり短い作品ということができる。なにしろ、『痛ましき謎への子守唄』が489分、『昔のはじまり』が338分、『停止』が283分、『北(ノルテ)-歴史の終わり』が250分、『悪魔の季節』が234分、『立ち去った女』が228分と、200分超えが当たり前の監督なのである。

 フィリピンでも最高の捜査官の1人とされているヘルメス(ジョン・ロイド・クルーズ)は、ドゥテルテ大統領が強引に押し進める麻薬取り締まりと、とめどない警察組織の腐敗によって精神がむしばまれていき、休職に追い込まれていた。
 一方、ヘルメスの教官であったプリモ(ロニー・ラザロ)は、警察官の立場を利用した違法行為がヘルメスの捜査によって明るみに出て服役していたが、ヘルメスの強引な捜査の過程で家族を失い、ヘルメスへの復讐をかたく誓っていた。
 そのプリモが、彼とつながっていた上層部の力によって釈放され、ヘルメス殺害のために動き出す。
 ストレスから乾癬を発症したヘルメスは、体中の皮膚がただれ、頭皮もできものに覆われる状態となり、長く疎遠となっていた実家の姉のもとに身を寄せていた。そこに、復讐の鬼と化したプリモが迫っていくのだが……。

 などとストーリーを紹介すると、ごく普通の映画という印象を与えてしまうかも知れないが、こんなストーリー紹介など、ラヴ・ディアス作品を語る上ではあまり意味はなかったりする。なにせ、このストーリーにどう絡むのかよく理解できないエピソードがあまりにも多すぎるのだ。というか、エピソードとすらいえない場面が長々と続いたりするのである。
 ヘルメスを追ってサンイシドロという地方へやってきたプリモが、チャーターしたボートで海を渡る途中でボートのオーナーに延々と洗礼を与えるシーンがあったりとか、ホテルの部屋で延々と踊っている場面とか、何人もの売春婦を部屋に連れ込んで自分の過去を延々と語って聞かせる場面とか、とにかく一筋縄ではいかないのがラヴ・ディアスなのだ。
 それにしても、あの延々と踊っている場面、監督からはいったいどういう指示がだされたのだろう。ロニー・ラザロは、いったいどういう意味のシーンと理解した上で踊っていたのだろう。聞く機会などあるわけもないのだけれど、機会があればぜひとも聞いてみたいものだ。
 それでも、ラヴ・ディアス作品としては、異例とも言えるほどストレートにテーマを語っており、そういう意味では非常に分かりやすい。ドゥテルテ大統領が進める非人道的な麻薬戦争とか、警察組織の腐敗を真っ正面から批判して「フィリピンのくそったれ」と叫ぶところなど、あまりにもストレートすぎて本当にラヴ・ディアス監督の作品かと思ってしまうほどだ。

 主演はフィリピンのトップクラスの人気男優のジョン・ロイド・クルーズ。ラブロマンス映画の主役として、数々の大ヒットを飛ばしてきた超人気俳優なのだけれど、本作では体中を皮膚病に冒されて、頭もまばらに禿げてそこが疥癬に覆われているという、なんとも悲惨な姿と化している。フィリピンのファンは、はたして彼のこの姿をどう受け入れているのだろうか。ま、一般のフィリピン人がラヴ・ディアス監督の作品を観ることなどないだろうけれど。
 ちなみに、ジョン・ロイド・クルーズ、『立ち去った女』『痛ましき謎への子守唄』でもラヴ・ディアス監督の作品に主演している。
 そしてプリモを演じているロニー・ラザロは、ラヴ・ディアス監督の『痛ましき謎への子守唄』に出ている他、ブリランテ・メンドーサ監督の『義足のボクサー』、韓国の大ヒット映画のリメイク『Miracle in Cell No. 7』、ラヴ・ディアスに私淑しているポール・ソリアノ監督の『マニャニータ』、クリスティン・レイエス主演のアクション映画『マリア』などといった、数多くの話題作に出演しているフィリピンの名優である。
 他に、ヘルメスの姉のネリッサを『立ち去った女』『サリーを救え』『Vince & Kath & James』などのシャマイン・ブエンカミノ(Shamaine Buencamino)が演じている。
 また、ラブ・ディアス作品の常連女優であるヘイゼル・オレンシオ(Hazel Orencio)が、製作、助監督として参加している。

 ちなみに、ラヴ・ディアス監督のいつもの作品と同じように、本作もモノクロで撮られている。それどころか、いつもの作品よりも粒子の粗い映像となっている。インタビュー記事によると、コダックのモノクロの16mmフィルムのストックを使って撮影しているとのこと。デジタル撮影ではないので、ラボで現像しないと映像のチェックができないのだけれど、ラボがルーマニアにあり、撮影したものをチェックするまで何週間も何週間も待たなければならなかったのだという。